ドイツ音楽紀行(17)1997年4月15日(火)
ヴィースバーデン『ブラームス交響曲第3番』
 
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 僕がこのヴィースバーデンまでやってきた第1の理由はブラームス。
 1883年の夏、ブラームスはヴィースバーデンに滞在して《交響曲第3番》を作曲した。
 僕は今まで、交響曲第2番のペルチャッハ、第4番のミュルツツーシュラーク(いずれもオーストリア)を訪れたことがあるので、全曲制覇を目指しているわけだ (^_^) 。
 第1番のためには、バルト海にあるリューゲン島というところに行かなくてはならない‥‥トホホ (^_^;。

 さて、1883年、当時50才のブラームスは、押しも押されぬ大作曲家になっていた。
 その彼が、この夏の避暑地としてヴィースバーデンを選んだのには理由がある。
 彼は、この町に住むヘルミーネ・シュピースという若い女性歌手が気に入ったんだそうだ。
 彼女は美しいアルト歌手で、ブラームスは彼女の機知に富んだ性格も愛した。
 彼らは20才以上年齢が違ったんだが、いずれ結婚するのではないか、と噂になったほどだった。

 さて、市庁舎(立派)のそばにあるインフォーメーションで尋ねたところ、ブラームスが滞在した家は『SCHO:NE AUSSICHT/美しい見晴らし』という、冗談みたいな名前の通りにあるんだそうだ。
 地図で見ると SCHO:NE AUSSICHT は、クアパークの裏に当たる。

 たどり着いた SCHO:NE AUSSICHT の始まりは赤十字病院(写真右 → )。
 僕は元日赤職員なので大いに喜ぶ (^_^) 。
 小さい病院なので、ちょっと玄関から覗いてみたらそこは待合い室で、患者さんや看護婦さんと目が合ってしまったので、あわてて逃げ出した (^_^;。

 そこから SCHO:NE AUSSICHT の通りを、右に左に首を振りながらブラームスの家を捜す。
 しかし見つからないので、何人かの近所の人に聞いてみたところ、彼らも知らないんだそうだ。
 住んでいる人が知らないんじゃこりゃダメだな。
 考えてみれば、インフォーメーションの情報が本当に正しいかどうかも分からない。
 僕の力で出来るのはここまで。
 何とも無念だったが、もっと詳しい方の調査を期待したい。

 しかし、この SCHO:NE AUSSICHT 通りがぶつかったところが、リヒャルト・ワーグナー通りというのには笑った(ブラームスとワーグナーは仲が悪かったから)。
 この近くには、グスタフ・マーラー通りもヨハン・セバスチャン・バッハ通りもあるのに、ブラームス通りはないのね (^_^;。
 『SCHO:NE AUSSICHT/美しい見晴らし』ということで、少し高台にあるんだが、それほど見晴らしの良い通りではなかった。

 その後、ヴィースバーデンにブラームス協会があることが分かったので、問い合わせをしたところ、「その家は SCHO:NE AUSSICHT 7 にある」という返事と、その家に掛けられたプレートの絵葉書が送られてきました。
 感謝感謝 (^_^) 。

 僕がこの家を実際に見ることが出来たのは、2000年5月6日のことです。

 バスで中央駅まで戻り、本日の観劇《サンセット大通り》に向かう。

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