エッセン&シュトゥットガルト・ミュージカル紀行(2) エッセン 《エリザベート》(2) 2001年8月12日 |
![]() 2001年8月12日(日)7:00OM エリザベート:アンニカ・ブルーンス トート:ウヴェ・クレーガー ルイジ・ルケーニ:カルステン・レッパー フランツ・ヨーゼフ:ミヒャエル・レーヴィス ゾフィー皇太后:ガブリエーレ・ラム ルドルフ皇太子:イェスパー・ティデン この日のトートはウヴェ・クレーガー。 ウィーンオリジナルのトートですが、紺色の衣装のためか、意外に存在感がない。 やはり白の衣装でなくてはね (^_^;。 歌の迫力も、とても山口祐一郎には及びません。 しかし、ウヴェにはヴィースバーデンの《サンセット大通り》、ウィーンの《モーツアルト!》と逃げられていただけに、彼を初めて見ることが出来た喜びは大きい (^_^) 。 アーノルド・シュワルツェネッガーに似ているような気がしました (^_^;。 エリザベート役は、代役キャストのアンニカ・ブルーンス。 ファーストキャストはウィーンオリジナルのピア・ドウヴェスだったので、彼女を見ることが出来なかったのは全く残念ですが、写真で見る限りアンニカの方が美人度が高い (^_^) 。 この人自身に不満はありませんでした。 演出(エディ・ハッベーマ)は、ウィーンスタイルの部分も東宝スタイルの部分もありました。 『我々か彼女か』の部分など、チェス盤に馬を腰に付けた全くのウィーンスタイルで、これはいかにも唐突でした。 音楽的に盛り上がったのは『私は私だけのもの』と『影は長くなる』。 エッセン公演では、『Wenn Ich Tanzen Will ・ 私が踊ろうとするとき』という、エリザベートとトートのデュエットがありました。 エッセン公演のために作られた曲だそうで、人気のナンバーになっています。 意味は分かりませんが‥‥ (^_^; 。 さて、コルフ島の場面ではアキレウス像が出てきましたが、アキレイオン莊はこの時点(1888年11月15日)には、まだ出来ておりません。 アキレイオン莊が完成したのは1891年10月。 『東宝並みにいい加減な時代考証だな』と思って見ていたら、そこにルドルフが現れるじゃありませんか (@o@) ! この時点で僕はプッツンと切れてしまいました。 『コルフ島にルドルフが来るわけがないだろう! これじゃ東宝以下じゃないか!』なんてね。 それからはエッセンの舞台を見ていても、思い出すのはウィーンの舞台ばかり。 『鏡の魔術』とも言うべき『僕があなたの鏡だったら』、すれ違い夫婦の悲しさを単純な装置で見事に表現した『夜のボート』。 絶頂期の天才演出家ハリー・クプファーと普通の演出家エディ・ハッベーマの才能の違いを、いやと言うほど思い知らされました(個人的な感想)。 ![]() ラストシーンは、死の接吻でエリザベートは息絶え、トートに抱きあげられます。 そしてトートはエリザベートを抱いたまま舞台奥に進むんですが、最後の瞬間に客席にふり向きます。 その時、エリザベートの手がダラリと落ちて、これはなかなか印象的なアイディアでした。 ということで、ぼくはこのエッセンの舞台に大変失望しました。 というか、クプファーの舞台の呪縛から逃れることが出来ない自分を認識いたしました (^_^;。 僕は世界中どこで《エリザベート》が上演されても、もう行きません。 ウィーンでクプファーの舞台が再演される以外はね。 カーテンコールはスタンディングオベージョンだったことは書いておきましょう。 コロセウム劇場では、華やかなオープニングナイトのビデオが売られておりました。 ウヴェ・クレーガーやピアのインタビューや、もちろん歌。 場面場面の映像もあり、ピア・ドウヴェスの「私は私だけのもの」や、「影は長くなる」も、部分的にですが収録されています。 劇場やロビーの風景も懐かしいし、エッセンに行かれた方には、こちらのビデオは絶対のお薦め (^_^) 。 |