1) 美濃加納・岐阜市 2003年5月25日

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◇加納・岐阜市(5/25)

 徳川家康と正室・築山御前の間には、信康と亀姫の二人の子供がいました。
 僕は浜松にある築山御前のお墓と、天竜二俣にある信康のお墓は訪れたことがあるので、今回は亀姫のお墓を訪ねて、岐阜市・加納に行ってきました。

 加納は岐阜駅の南側に当たります。
 江戸時代の加納は城下町でしたが、加納城址には本丸の石垣が残り、中は広いグラウンドのような加納公園になっていました。
 加納はまた中山道の宿場町としても発展し、皇女和宮も本陣に宿泊しました。

加納城跡 本丸石垣

 
 加納城の初代城主は奥平信昌でした。
 天正3年(1575)長篠の戦いで、長篠城主として城を守った奥平貞昌は、信長から一字をもらい信昌と改名し、家康の長女亀姫をめとり、4男1女をもうけました。
 新城(しんしろ)城主となった信昌は、天正18年(1590)家康の関東入国と同時に上州宮崎(群馬県富岡市)に移り、その後初代京都所司代となり、慶長6年(1601)岐阜加納十万石の大名となりました。
 加納では、城下の整備や治山治水事業につとめ、元和元年(1615)61歳で死去しました。
 亀姫は、寛永2年(1625)5月27日、66歳で加納において死去しました。

 夫妻のお墓がある盛徳寺は、加納城の近くにありました。
 夫妻の墓所は塀で囲われており、入口に柵が立っていました。
 外から覗いたところ、円墳式の二つの墓が見えました。
 右が信昌、左が亀姫のお墓なんだそうです。

 インターネットで調べていたら、近くに十二相神(亀姫侍女)なる建物(?)があり、「嫉妬に狂った亀姫に殺された侍女12名の霊を慰めるために建立されました。亀姫は夫奥平信昌に生涯側室をおかせませんでした」と書かれていました。
 いかにも築山御前の娘らしいお話ですが、「信昌も長篠の戦いのおかげで大変な人生を送ったんだな」と、いささか同情しました。

盛徳寺 亀姫夫妻の墓所
 
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