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上有知(こうずち)金森家は二代目で領地没収となりました。 一方の飛騨金森家は、6代頼時(よりとき)の時、出羽上ノ山に転封となってしまいます。 そして、その5年後には、また郡上八幡に転封の命令が下りました。 7代頼錦(よりかね)は、幕府の奏者役に任じられました。 奏者役は朝廷と幕府の接待を勤める役職で大抜擢でしたが、たいへん金がかり、無理な年貢の取り立てをおこなったため、世に有名な宝暦郡上騒動を引き起こしました。 この責任を問われ金森家は領地没収改易となり、こうして金森氏は6代で終焉をむかえました。
現在の郡上八幡城は昭和8年に再建されたものだそうです。 お城の登り口に「山内一豊と妻の像」が建っていました (@o@) 。 不思議だったんですが、内助の功で有名な山内一豊の妻「千代」は、初代八幡城主、遠藤盛数公の娘とする説があるんだそうです。
「郡上八幡博覧館」では、郡上八幡の歴史と郡上踊りの展示がされていました。 この町は、かなり古い歴史を持った町のようです。 「宗祇水」は昭和60年に、環境庁の「名水百選」に選ばれました。 室町時代(文明年間)に飯尾宗祇はこの地に在住し、時の領主東常縁から古今伝授の故事を伝えられたそうです。 ちょっと飲んでみましたが、甘い口触りの水でした。
吉田川は長良川の支流で、八幡町の町の中央を流れています。。 この吉田川にかかる新橋から、吉田川に飛び込むイベントは有名です。 この日に鮎漁が解禁されたそうで、多くの釣り人が出ていました。
郡上八幡樂藝館(らくげいかん・旧林療院)は、明治37年に個人の医療施設として 建てられたものです。 内部は診察室や、県下で初めてといわれるレントゲン装置が公開されていました。
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