(3) 郡上八幡 03年6月8日(日)

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 上有知(こうずち)金森家は二代目で領地没収となりました。
 一方の飛騨金森家は、6代頼時(よりとき)の時、出羽上ノ山に転封となってしまいます。
 そして、その5年後には、また郡上八幡に転封の命令が下りました。
 7代頼錦(よりかね)は、幕府の奏者役に任じられました。
 奏者役は朝廷と幕府の接待を勤める役職で大抜擢でしたが、たいへん金がかり、無理な年貢の取り立てをおこなったため、世に有名な宝暦郡上騒動を引き起こしました。
 この責任を問われ金森家は領地没収改易となり、こうして金森氏は6代で終焉をむかえました。

城下町プラザ 郡上八幡城


 現在の郡上八幡城は昭和8年に再建されたものだそうです。
 お城の登り口に「山内一豊と妻の像」が建っていました (@o@) 。
 不思議だったんですが、内助の功で有名な山内一豊の妻「千代」は、初代八幡城主、遠藤盛数公の娘とする説があるんだそうです。

お城から 山内一豊夫妻の像


 「郡上八幡博覧館」では、郡上八幡の歴史と郡上踊りの展示がされていました。
 この町は、かなり古い歴史を持った町のようです。

 「宗祇水」は昭和60年に、環境庁の「名水百選」に選ばれました。
 室町時代(文明年間)に飯尾宗祇はこの地に在住し、時の領主東常縁から古今伝授の故事を伝えられたそうです。
 ちょっと飲んでみましたが、甘い口触りの水でした。
 
郡上八幡博覧館 宗祇水


 吉田川は長良川の支流で、八幡町の町の中央を流れています。。
 この吉田川にかかる新橋から、吉田川に飛び込むイベントは有名です。
 この日に鮎漁が解禁されたそうで、多くの釣り人が出ていました。

吉田川・新橋 鮎釣り解禁


 郡上八幡樂藝館(らくげいかん・旧林療院)は、明治37年に個人の医療施設として 建てられたものです。
 内部は診察室や、県下で初めてといわれるレントゲン装置が公開されていました。

郡上八幡樂藝館・旧林療院 診 察 室
レントゲン装置 こんな懐かしいものも
 
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