第3回東京のオペラの森《タンホイザー》
  2007年3月18日(日)3:00PM 東京文化会館

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 1995年6月6日にイングリッシュ・ナショナル・オペラ《真夏の夜の夢》を観て以来のロバート・カーセンのファンです。
 日本では2001年9月3日《イェヌーファ》2004年5月8日《ラ・ボエーム》2005年3月13日《エレクトラ》と、小澤征爾さんとの共同作業が続いています。

 僕は小澤さんの音楽はあまり好みではなく、特にワーグナーは合わないだろうなと思いつつ、カーセンがワーグナーを演出するのなら、行かなくてはなりません。

 フランツ・フォン・シュトレーゼマン(のだめカンタービレ)風に言えば、「カーセンには もれなく小澤が ついてくるんですね」というところでしょうか (^_^; 。

富士川鉄橋 新横浜の近くまで富士山が見えていました


  第3回東京のオペラの森《タンホイザー》
  2007年3月18日(日)3:00PM
  東京文化会館

 指揮:小澤征爾 演出:ロバート・カーセン
  タンホイザー:ステファン・グールド
  エリザベート:ムラーダ・フドレイ
  ヴェーヌス:ミシェル・デ・ヤング
  ヴォルフラム:ルーカス・ミーチェム
  領主ヘルマン:アンドレア・シルベストレッリ
  ヴァルター:ジェイ・ハンター・モリス
  ビーテロルフ:マーク・シュネイブル
 演奏:東京のオペラの森管弦楽団/同合唱団

 序曲が始まってまず感じたのは、予想通り音楽が軽いということ。
 しかし、舞台にヴェーヌスが現れ、どうもオールヌードらしいことが分かってからは、オペラグラスはヴェーヌスに釘付け。
 オケの演奏なんか気にしていられません。
 オペラは総合芸術だと、つくづく思いました (^_^ゞ。

 僕の席は右側サイドで、正面の人には見えない景色も見えました。
 ルーベンスの裸婦像を思い出させる豊満なヴェーヌスが、オールヌードだったことは間違いありません。
 さすがは《エレクトラ》でアガメムノン王のペ○スを露出させたカーセンです。

 問題は彼女がヤングだったかどうかですが、情報収集の結果、序曲が終わったところで入れかわったようです。
※プログラムに「ヴェーヌス:ラティティア・プランテ」と書かれていました。

 今回の演出の設定では、タンホイザーは現代の画家。
 彼は序曲の間、ヴェーヌスをモデルとして裸体画を描いています。
 タンホイザーはこの絵を大事にして、ヴェーヌスベルクを出て行くときも、ローマに追放されるときも、ローマから帰ってくるときも、常に持ち運んでいます。

 第2幕の歌合戦は、絵画のオークションになっています。
 この場面の演出は秀逸で、ヴォルフラムのエリザベートに対する愛情の深さや、タンホイザーに裏切られたエリザベートの悲痛な苦しみが胸を打ちます。

 カーセンの演出は一見エキセントリックなものですが、作曲家の意志を尊重しているところが、コンヴィチュニーらの作品をねじ曲げる読み替え一派とは違います。

 「演出家の仕事というものは不思議なものです。私が伝える物語は、他の人によって書かれたものであるにもかかわらず、それを伝える新しい方法というものを常に自分で生み出していかなければならない。」
 冊子に書かれたカーセンの言葉ですが、どれほど大変な作業なのでありましょう。
 いつまでも今のレベルのアイディアが湧いてくるとは思えません。

 小澤征爾さんの音楽は軽快というか、薄っぺらというか。
 有名ソリストを寄せ集めたオケは練習不足でしょうか、金管が音を外すのは大目に見るとしても、バランスが悪く、アンサンブルが乱れる部分も多く、感心しませんでした。
 特に、弦楽器の重みのない音は、指揮者の指示もあるのでしょうが、情けないばかりです。

 第3幕の前奏曲も音楽が薄かったんですが、エリザベートがワンピースを脱いで下着姿になり、タンホイザーのベッドで悶え始めると、またオペラグラスに集中。
 ここで「彼女はいつもあのように祈っている」というヴォルフラムの歌詞が絶妙でした (^_^; 。

 歌手はいずれも素晴らしかった。
 彼らが歌い始めると、指揮やオケは気にならなくなります。
 これだけのメンバーを集めたことは小澤さんに感謝したい。
 タイトルロールのグールドは、バイロイトのタンホイザーでありジークフリートだそうです。

 3幕途中から演出が意味不明になってきました。
 最後にエリザベートが昇天し、暗い舞台の背景が上がると、そこには「ヴィーナスの誕生」や「オランピア」など、泰西名画の裸婦像が壁に掛けられています。
 そしてタンホイザーが描いたヴェーヌス像もそれらの名画に匹敵するものと認められ、オークションで大金が手に入り、タンホイザーがお金持ちになって幕となりました (@o@)。

 僕が考えるに、カーセンの「タンホイザーを現代の画家とする」というアイディアは行き詰まり、適切な解決策を見いだせなかったようです。
 先に「カーセンの演出は作曲家の意志を尊重している」と書きましたが、これではいけません。
 アイディアが行き詰まったときの逃げ道として、「読み替え」があるのでしょうか?
 
 会場でワーグナーファンと話したのですが、シュテークマンの《さまよえるオランダ人》の方が良かった、という意見が多かった。
 ワーグナーでは、カーセンのようなやり方では、「面白かった」「感心した」という評価はあっても、《オランダ人》のように心が震えるような感動にはならないかもしれない。
  この《タンホイザー》がカーセン演出の終わりの始まりか、と思ったことです。

 劇場を出たところに、茶圓勝彦さん作成の サンド・オペラ 『タンホイザーとヴェーヌス』がありました。

 
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