ウィーン・ミレニアム紀行(3)12月30日(木)の2
エヴァンゲリスト教会(ブラームスの葬儀)

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◇フィガロハウス

 シュテファン寺院(混雑していた)から、モーツアルトのフィガロハウス(写真右 → )へ。
 フィガロハウスには以前に来たことがあるんだが、僕はどうしても聞いてみたい永年の質問があった。

 初めてウィーンに来たベートーベンがモーツアルトに会って励まされたという有名なエピソード。
 それはこの建物であった話なのだろうか?
 係員のおじさんは一瞬あせったように笑って、答えは『メイビー、メイビー・ソー』ということで、ちょっと怪しそうですね (^_^;。

 シュテファン寺院前の現代建築ハースハウスには高級ブティックが並んでいた。
 6階のレストランは12時から営業するらしい。


 次に目指すは「カフェ・ハヴェルカ」。
 おじいさんが新聞(ドイツ語 (^_^; )を持ってきてくれたが、この人がハヴェルカさんであろうか?
 店は工事中であったが、ガイドブックの写真どおり薄暗く、客は半分くらい。
 アインシュペーナー 40シリングであった。
カフェ・ハヴェルカ ドブリンガー楽譜店


◇エヴァンゲリスト教会・ドロテアガッセ18番

 「カフェ・ハヴェルカ」隣のドブリンガー楽譜店を覗いてから、同じドロテアガッセ18番のエヴァンゲリスト教会(ルター派教会)へ。
 僕はブラームス関連の史跡を訪ねているんだが、いろいろな本を読んでも彼の葬儀が行われた教会が分からなくて困っていた。
 その教会がこのエヴァンゲリスト教会であることが分かったのは、『ブラームス・古典への回帰、その光と翳』(芸術現代社)を書かれた、故渡辺茂先生の偉大な業績だ。
 僕はこの本に大感激して渡辺先生にお便りして、何度か情報の交換をしたものだ。



               壁のプレート ↑

   ← エヴァンゲリスト教会


 マリア・テレジア・イェローのその教会の壁には紅白の旗が立っているが、プレートにはブラームスについて何も書かれていない。
 しかし渡辺先生によれば、この教会の過去帳には、確かにブラームスの葬儀記録が残されている。
 ブラームスはプロテスタントだったので、葬儀できる教会が限られているのだ。

 僕がブラームスが生まれたハンブルグのシュペックシュトラッセを訪れたのは今年のGWのことだった。
 そして今、彼の葬儀が行われたエヴァンゲリスト教会の前に立つことが出来た。
 GWに交響曲第1番が作曲されたリューゲン島のザスニッツに行ったのも、僕としては今は亡き渡辺先生の御仕事の続きをしているつもりなんだ。

 この教会では、同じくプロテスタントであったヨハン・シュトラウス2世や、大外科医テオドール・ビルロートの葬儀も行われたそうだ。
 


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