8:40 ドレスデン発のIRでツヴィッカウ(シューマン誕生の地)へ向かう。
列車の窓から見ていると、ボロボロで窓ガラスも割れ放題、汚いペンキの落書きのある家が実に多い。
大袈裟かもしれないけれど、半分くらいが廃屋みたいな感じ。
これが旧東独の現実であろうか。
と思ったら、フランクフルト近郊にもこのような廃屋があったので、ドイツ人全体の性癖かもしれない (^_^;。
ツヴィッカウ着 10:52。
駅のインフォーメーションでロベルト・シューマン・ハウスについて聞いたが、誰も知らない。
市街図(シュタットプラン)にも載っていない。
これには驚いた。
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ツヴィッカウ中央駅 |
駅から見ると |
インフォーメーションでいろいろ聞いていたら、『シューマン』(シューマンの銅像のことだった)まで案内してくれるというおばさんが現れた (^_^) 。
で、おばさんに付いて行くこととなったんだが、自動車に乗せてくれるのか? と思ったら、これが歩きだった (^_^;。
しかも街の中心であるハウプトマルクト広場までは、結構遠かった。
旧市街に入ってからはお店も多くなり、キョロキョロと楽しかったが‥‥。
おばさんはいろいろ話しかけてくれるが、ほぼ100%分からない。
訛っているのではないか (^_^;?
30分くらいで『夢見るシューマン像』のあるハウプトマルクト広場に到着。
『フィーレン・ダンク!』と心から感謝して、おばさんとお別れ。
銅像の写真を前後左右から撮って、目の前のテアター(HAUPTMARKT 1)へ。
ゲヴァントハウスとも呼ばれるこのテアターでは《ファウスト》《エヴィータ》などが上演されているようだ。
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向かいはテアター ↑
← 夢見るシューマン像 |
ロベルト・シューマン・ハウス(HAUPTMARKT 5)はシューマン誕生の家で、広場の一角に面した大きい家。
シューマンって貧乏なイメージがあったんだが、街の中心の大きい家とはなかなか裕福な家庭だったようで、これは意外だった。 シューマン・ハウスの前は道を掘り返していて、フェンスが邪魔で写真も撮れない状態。
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ロベルト・シューマン・ハウス |
コンサート用のホール |
受付の 右横に100人くらいは入れそうなコンサート用のホールがあった。
記念館は二階なんだが、内部の展示は肖像画、写真やピアノなど実に充実したものであった。
シューマンはやがてライプツィッヒ大学法学部に進学し、ピアノ教師フリードリッヒ・ヴィークの娘クララと結婚することになる。
シューマンがライン川に飛び込んだデュッセルドルフの家、彼が死亡したエンデニヒ(ボン近郊)の病院、ボン中央墓地にある夫妻のお墓、などは1997年に訪れたことがある。
シューマンの生家でこれらの展示を見るのは、彼の一生をあっという間に振り返るようで、なかなか感慨深いものがあった。
市庁舎の裏手からタクシーに乗って、帰りは駅まで5分(8マルク・400円)であった。
ツヴィッカウ発 13:22、ライプツィッヒ着 14:41。
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