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前にも書いたように、今回のホテルは地下鉄U4の終点「アラベラパーク駅」から徒歩15分という僻地にありました。 朝食はノイシュヴァンシュタイン城へ行くという日本人団体と一緒。
この日はシュタルンベルク湖畔のトゥツィンクとフェルダフィンクをタクシーで早回りして、2時にはバイエルン国立歌劇場のガイドツアーに参加するという、いつものように充実した (^_^; スケジュール。 ATMでお金をおろし、タクシー代に備えます。 時間をお金で買う、ということかな。 ミュンヘン中央駅からSバーン(S6)でトゥツィンクに向かいます。 8時15分ミュンヘンHBF発、8時55分トゥツィンク着。
ここでシュタルンベルク湖の略図をあげておきましょう。 01年にルートヴィヒ2世が溺死したベルクと、后妃エリザベートの館があるポッセンホーフェンには行ったことがあります。 今回は残りのトゥツィンクとフェルダフィンクが目的です。 ブラームスは1871年からウィーンに住居を構え、夏は避暑地で作曲を進める習慣が始まりました。 1873年の夏の3ヶ月(5〜8月)、ブラームス(40歳)はトゥツィンクに暮らしました。 トゥツィンクで作曲された曲は「弦楽四重奏第一番、第二番」、「ハイドンの主題による変奏曲」。 二曲の弦楽四重奏曲は友人の大外科医ビルロートに捧げられ、「ハイドンの主題による変奏曲」は1876年に完成する交響曲第一番の先駆けとなりました。 まずはマイバウムの立つ市庁舎にある観光案内所で情報収集。 案内所のおばさんは親切にブラームスハウスの場所を教えてくれて、女の子(娘さん?)は可愛かった (^_^) 。
今後トゥツィンクに行く人は10人以上いると思うから、案内書で手に入れた地図をアップしておきましょう。 赤いマークがブラームスハウスで、ピンクのラインが僕が歩いた道です。
ブラームスハウスです。 新潮文庫「ブラームス」に載っている写真とは色が違いますが、屋根や窓の配置は同じなので、どうも塗り替えたようです。 2階からはシュタルンベルク湖がきれいに見えることでしょう。 ブラームスが交響曲第2番を作曲したヴェルター湖畔のペルチャッハと同じような位置関係です。 |