ウィーン 落ち穂拾いの旅 21)ベルク教会・ハイドンの霊廟
2008年8月15日(金)

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 エステルハージー宮殿前からウィーン方向に坂を登るとベルク教会が見えてきます。
 この教会はエステルハージー家の菩提寺だそうで、実に立派な建物です。

 「HAYDN−MAUSOLEUM」の矢印に従い裏手に回ると教会の入り口がありました。
 辞書を引くと「MAUSOLEUM」は「霊廟」だそうです。
 
ベルク教会  
「HAYDN MAUSOLEUM」の矢印 教会の入口


 入口を入り、左手にハイドンの霊廟があります。
 1809年5月31日、77歳のハイドンはハイドンガッセの家で死亡しました。
 その遺体は翌日、今はハイドン公園となっているフントシュトルム墓地に葬られました。
 
 1820年に遺体をアイゼンシュタットにあるエステルハージー家ゆかりのベルク教会に移すことになり、棺を開くと遺体には頭部がありませんでした。
 エステルハージー家の元書記官が、埋葬の数日後に切断して盗み出していたのです。

 1932年にパウル・エステルハージー侯がハイドン廟を建立しました。
 頭蓋骨はいろいろな人の手を渡り、1954年にやっと胴体と一緒になりました。

 ハイドンの棺は総大理石の美しい棺です。
 このふたを開けるとそこにハイドンが(頭部と胴体が別れて)いる、というのは余り気味の良いものではありません。
 でも、僕はそれが好きで訪ね回っているんですけれどもね (^_^ゞ。

ハイドンの霊廟 総大理石の美しい棺


 ベルク教会には有名な「KALVALIENBERG・カルヴァリエンベルク」があります。
 「KALVALIENBERG」とはキリスト磔刑の地「ゴルゴダの丘」のことらしい。
 この人工の丘はエステルハージー侯の命で1701年から建設され、十字架の丘へ登るキリスト受難の道が再現されています。

 「KALVALIENBERG」を登り切ると、アイゼンシュタットの街とブルゲンラントの平野が目の前に広がります。
 ガイドブックに載っている有名な景観です。

KALVALIENBERG キリストの受難
アイゼンシュタットの街 有名な景観


 
 
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