ウィーン 落ち穂拾いの旅 29)ガイドツアー ブルックナーの棺
2008年8月16日(土)

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 2時からガイドツアーの始まりです。
 解説はドイツ語のみで、詳細不明です (^_^ゞ。

 ローマ時代、この地域の主行政官であったフローリアンは、ディオクレテイアヌス帝によるキリスト教迫害にも信仰を貫き、304年に体に石を巻き付けられエンス川に投げ込まれました。
 彼の溺死体は Valeria という女性に発見され、牛車で運ばれ埋葬されました。
 その埋葬された場所に現在聖フローリアン教会が建っているのだそうです。
 
黒い服の女性がガイドさん 膨大な蔵書を持つ図書室


 水に縁があるためか、聖フローリアンは消防の守護聖人とされています。
 下の写真をご覧下さい。
 火事の家に水を掛けているでしょう。

聖フローリアン像 火事の家に水を掛けている
聖フローリアンの殉教 ステンドグラス


 驚いたのはアルトドルファーの間。
 アルブレヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer 1480-1538) の絵が部屋いっぱいに掛かっていて、この絵を今集めればどれほどのお金がかかるのか考えて、頭がくらくらしました。

アルトドルファーの間 音楽会が開かれる大広間もある
教会の中庭 付属教会で一休み


 付属教会で一休みして、いよいよブルックナーの棺があるクリプタ(Krypta 地下墓所)です。
 
 1896年10月1日、ブルックナーはベルヴェデーレ宮殿の管理人小屋で死亡しました。
 享年72歳。
 ブルックナーの葬儀は14日にカール教会においてウィーン市の主催で執り行われました。
 そして15日に遺言通り、彼の棺は聖フローリアン教会の大オルガンの真下に安置されました。

 薄暗い地下墓所の一番奥にブルックナーの棺がありました。
 背後には6000もの頭蓋骨がうずたかく積まれていて、実に気味が悪くて写真を撮るのもためらわれますが、このHP充実のためなら致し方ありません。
 バシバシ撮ってしまいました (^_^ゞ。
 
階段を降りて 地下墓所を進むと
ブルックナーの棺 背後には6000もの頭蓋骨が


 ガイドさんに「ブルックナーのHEADはどちら?」と英語で尋ねましたところ、「KOPFはこちら」とドイツ語で返事がありまして、頭蓋骨が積まれた方が頭になるそうです。

 かつて志鳥栄八郎さんが『レコード芸術』に、ブルックナーの棺について書いておられました。
 志鳥さんは1979年に、聖フローリアン教会の副院長に案内してもらったんだそうですが、副院長曰く『数年前にこの棺を開けたら、ブルックナー先生は、生前のままの御様子でした』だって(@o@)。

 この文章を読んで、僕は思わず悲鳴を上げてしまいました (^_^ゞ。

 バスでリンツへ帰るため、当然時間はチェックしていたのですが、この日は土曜日で別ダイヤ。
 思わぬ時間ロスとなりました。
 バス停の写真で見るように、この教会は「STIFT」であり「KIRCHE」ではありません。
 
リンツ行き「STIFT」バス停 可愛いマイクロバス


 やって来たリンツ行きのバスはマイクロバスで、3人くらいの乗客がありました。
 料金は5ユーロくらいだったでしょうか、あまりの安さに脱力しました (^_^; 。
 リンツまでは15キロ、20分くらいかな、早く着いて驚きました。

 リンツから聖フローリアン教会に行かれる方は、「SIERNING」行きのマイクロバスに乗られると良いような気がします。
 あまり自信はないので、現地で確認して下さいね。

 リンツ駅ではウィーン行きの特急まで1時間の時間待ち。
 ウィーンでの「落ち穂拾い」の時間は完全になくなりました。
 時間つぶしにスタンドでレバーケーゼを食べて、本屋さんで「ポケモン」の漫画 (@o@) を買いました。

リンツ中央駅 レバーケーゼ
 
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