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2時からガイドツアーの始まりです。 解説はドイツ語のみで、詳細不明です (^_^ゞ。 ローマ時代、この地域の主行政官であったフローリアンは、ディオクレテイアヌス帝によるキリスト教迫害にも信仰を貫き、304年に体に石を巻き付けられエンス川に投げ込まれました。 彼の溺死体は Valeria という女性に発見され、牛車で運ばれ埋葬されました。 その埋葬された場所に現在聖フローリアン教会が建っているのだそうです。
水に縁があるためか、聖フローリアンは消防の守護聖人とされています。 下の写真をご覧下さい。 火事の家に水を掛けているでしょう。
驚いたのはアルトドルファーの間。 アルブレヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer 1480-1538) の絵が部屋いっぱいに掛かっていて、この絵を今集めればどれほどのお金がかかるのか考えて、頭がくらくらしました。
付属教会で一休みして、いよいよブルックナーの棺があるクリプタ(Krypta 地下墓所)です。 1896年10月1日、ブルックナーはベルヴェデーレ宮殿の管理人小屋で死亡しました。 享年72歳。 ブルックナーの葬儀は14日にカール教会においてウィーン市の主催で執り行われました。 そして15日に遺言通り、彼の棺は聖フローリアン教会の大オルガンの真下に安置されました。 薄暗い地下墓所の一番奥にブルックナーの棺がありました。 背後には6000もの頭蓋骨がうずたかく積まれていて、実に気味が悪くて写真を撮るのもためらわれますが、このHP充実のためなら致し方ありません。 バシバシ撮ってしまいました (^_^ゞ。
ガイドさんに「ブルックナーのHEADはどちら?」と英語で尋ねましたところ、「KOPFはこちら」とドイツ語で返事がありまして、頭蓋骨が積まれた方が頭になるそうです。 かつて志鳥栄八郎さんが『レコード芸術』に、ブルックナーの棺について書いておられました。 志鳥さんは1979年に、聖フローリアン教会の副院長に案内してもらったんだそうですが、副院長曰く『数年前にこの棺を開けたら、ブルックナー先生は、生前のままの御様子でした』だって(@o@)。 この文章を読んで、僕は思わず悲鳴を上げてしまいました (^_^ゞ。 バスでリンツへ帰るため、当然時間はチェックしていたのですが、この日は土曜日で別ダイヤ。 思わぬ時間ロスとなりました。 バス停の写真で見るように、この教会は「STIFT」であり「KIRCHE」ではありません。
やって来たリンツ行きのバスはマイクロバスで、3人くらいの乗客がありました。 料金は5ユーロくらいだったでしょうか、あまりの安さに脱力しました (^_^; 。 リンツまでは15キロ、20分くらいかな、早く着いて驚きました。 リンツから聖フローリアン教会に行かれる方は、「SIERNING」行きのマイクロバスに乗られると良いような気がします。 あまり自信はないので、現地で確認して下さいね。 リンツ駅ではウィーン行きの特急まで1時間の時間待ち。 ウィーンでの「落ち穂拾い」の時間は完全になくなりました。 時間つぶしにスタンドでレバーケーゼを食べて、本屋さんで「ポケモン」の漫画 (@o@) を買いました。
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