ウィーンミュージカル 《エリザベート》 (15)
◇ すべての質問は終わった
 
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◇シーン14 沈みゆく世界のデッキ

 『すべての質問は終わった』

 この悪夢の場面の舞台装置はすごい。
 登場人物ほぼ全てを載せた舞台全体が、持ち上がって、クルクル回る。
 真ん中から折れ曲がったりして、まるでフライング・カーペット状態だ (@o@) 。


 そこではルケーニのコメントで、エリザベートゆかりの人々の死が演じられる。
 まず、フランツ・ヨーゼフの弟で、ナポレオン三世にそそのかされメキシコ皇帝となった、マキシミリアンの銃殺。
 これは1867年6月19日。
 彼は35才だった。

 次はルケーニが『ナポリ后妃のマリア・フォン・ヴィッテルスバッハ』と言っているから、エリザベートの妹であろう。
 しかし、この人は1925年まで生きていたので、なぜここに出てくるのか、よく分からない。
 ルケーニは『 rein in die Zwangsjacke ! 』と言っている。
 「 Zwangsjacke 」は辞書に「拘束衣」と書かれているので、発狂したのか?
 しかし、エリザベート関係の本を読んでも、そのようなことは書かれていない。
 
 先に銃殺されたメキシコ皇帝マキシミリアンの妻であるシャルロッテ皇后は、夫の処刑前後に発狂している。
 彼女は故郷のブリュッセルで、87歳まで狂ったまま生き延びた。
 この人と間違っているのではないか?
 
 3人目は有名なバイエルンのルートヴィヒ二世の、シュタルンベルク湖における溺死。
 これは1886年6月13日。
 彼の棺はミュンヘンのミヒャエル教会にある。
 
 
↑  シュタルンベルク湖の十字架
 
 ルートヴィヒの棺(ミヒャエル教会)  →


 ルートヴィヒ二世が溺死したこの日、エリザベートはシュタルンベルグ湖の対岸 フェルダフィンクの HOTEL STRAUCH に滞在していた。
 彼女は監禁された王を救い出そうとしていた、という説もある。
 たしかに、オーストリア后妃が理由無くそんなところにいるはずがないだろう。

 そして4人目は、エリザベートの妹のアランソン公爵夫人ゾフィー。
 彼女はルートヴィヒ2世の婚約者としても有名なんだが、婚約破棄された後にアランソン公爵と結婚し、幸せな生活を送っていた。
 しかし1897年、パリのバザーで火事に遭い、勇敢にも他の人を逃がしているうちに、火に巻き込まれてしまった。

 音楽はエリーザベトとフランツ・ヨーゼフの結婚式と同じ、『全ての質問は終わった』。
 この混沌の中でフランツ・ヨーゼフとトートはエリザベートを争う。

 『彼女は私のもの!』 『彼女は私のもの!』
 『私は彼女に休息と安定を与える!』 『私は彼女に自由を与える!』

 『私はこれで彼女を救い出す!』 トートは三角形のヤスリをシャツから取り出し、スロープの上からルケーニに投げ渡す。
 『それは何だ?! こちらへ渡せ!』 叫ぶフランツ・ヨーゼフ。
 

 
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