藤原歌劇団 《蝶々夫人》 小林厚子&笛田博昭
 2019年4月27日(土)3:00PM テアトロ・ジーリオ・ショウワ

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 2012年11月に八王子で聴いて大いに感銘を受けた小林厚子さんと笛田博昭さんのコンビによる《蝶々夫人》を再び聴くため、昭和音楽大学「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」まで行ってきました。

 劇場までは名古屋 → 新横浜 → 町田 → 新百合ヶ丘まで、1時間半ではちょっと苦しいでしょうか。
 僕は《蝶々夫人》が大好きで、ダブルキャストの2公演を見てきました。

 僕は「ジーリオ」という言葉が分からなかったので、ロビーで「関係者」というプレートを付けた人に聞いてみましたが、これが難しかった。
 藤原歌劇団の人に聞いても分からないし、受付の昭和音大の学生に聞いても「知らない」とのこと。
 知っていそうに見える何人かの方に聞いて回って、やっと入口に立っていた偉そうな人から「イタリア語で百合(giglio)の意味」だと教えていただきました。
 「新百合ヶ丘」の駅から名付けられたそうです。

 藤原歌劇団《蝶々夫人》
 2019年4月27日(土)3:00PM
 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

 指揮:鈴木恵里奈
 演出:粟國安彦
 美術:川口直次
 再演演出:馬場紀雄

 蝶々夫人:小林厚子
 ピンカートン:笛田博昭
 シャープレス:牧野正人
 スズキ:鳥木弥生
 ゴロー:松浦健
 藤原歌劇団合唱部
 テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ

 何と言っても、粟國安彦さん(1941~1990・享年48歳)と川口直次さんによるジャポネスクな舞台が、限りなく美しい。

 川口直次さんのプログラム解説によれば、彼らが《蝶々夫人》を初めて演出したのは1984年。
 そしてその2年後の1986年、新しく舞台を作る機会に恵まれた時、移動公演のことも含んで考えられたのが、今回の舞台になるとのことです。
 背景を長崎の南蛮画としたこの舞台は35年の長きにわたり日本各地で上演され、好評を得てきました。

 僕はこの文化遺産とも言うべき舞台を映像として将来まで残していただきたい、と強く願うものです。
 
 指揮者の鈴木恵里奈さんは東京芸大卒で、今回の《蝶々夫人》が本格的オペラデビュー。
 この人が良くなかった。
 フレーズに関係なく速いテンポでビュンビュン飛ばし、せっかくの小林、笛田というベストメンバーを揃えながら、指揮者が足を引っ張っているように感じられる部分が多かったのは残念です。
 二幕以後は気にならなくなりましたが。

 第一幕では舞台装置だけではなく、登場する人物の衣装や所作が統一され、舞台端の人物にまで藤原歌劇団の歴史、伝統と言ったものを感じることが出来ました。
 蝶々さんの母親・親戚が1つのグループとなって、分かりやすくなっていたのも気に入りました。
 母親(蝶々さんにとって大事な人でしょう)が分かりやすい演出は少ないと思います。
 ボンゾは蝶々さんを蹴飛ばそうとして、舞台中央で大きく転ぶという、前回の演出の方が好きでした。

 第二幕の「ある晴れた日に」が、蝶々さんが観客に向かい、スズキにお尻を向けた格好で歌われたのにはガッカリしました。
 この歌は「ピンカートンが帰ってこないのではないか」と心配するスズキに、蝶々さんが「お聞きなさい」と言って「彼は帰ってくるから心配しないで」と説得する歌であり、スズキに向かって歌われなくてはなりません。

 スズキの鳥木さんはこの歌を聴いて、奥の部屋の駆け込みます。
 これは「あまりに蝶々さんが気の毒で、いたたまれない」という演技なのですが、そこに至るまでのスズキの心の動きが分かる演技が足りないので、唐突に感じられてしまいます。

 前回の松本重孝さんの再演演出では、蝶々さんはスズキの左隣りに座布団を引いて、スズキに語りかけ、時々目が合ったりもしました。
 これこそが正しい「ある晴れた日に」だと僕は思っています。
 それがどうして変わってしまったのでしょう?

 2日目の休憩時間のロビーで、僕は勇気を奮い起こして、折江忠道総監督に「誰が演出を変えてしまったのですか?」と聞いてみました。
 答えは「演出家です」とのことでした。

 鳥木さんも笈田ヨシさん演出の演出ではもっと積極的な演技をしておられましたので、今回の演出は残念だったろうと推察しました。
 あれだけ蝶々さんとの間に距離があって、無視されていてはね‥‥。

 スズキの演技については、ロイヤル・オペラハウス(DVD)のエリザベス・デションという人が素晴らしい。
 僕が「スズキはこうあるべきだ」と考えているとおりの演技で、スズキの演技だけで十分に泣けます。
 「ある晴れた日に」では、蝶々さんとスズキは立ったまま、並んで海を見つめています。
 そしてスズキは一言も歌うこともないのにその演技で、蝶々さんに勝るとも劣らない感銘を与えるのです。
 エルモネラ・ヤオの蝶々さんには違和感があるかもしれませんが、ぜひご覧いただきたいと思います。

 蝶々さんが自殺する場面は、屏風で隠されていました。
 ピンカートンは声だけで、姿を見せることはありませんでした。