東京二期会《蝶々夫人》 宮本亜門 10月6日(日)2:00PM 東京文化会館大ホール |
東京二期会《蝶々夫人》 10月6日(日)2:00PM 東京文化会館大ホール 指揮:アンドレア・バッティストーニ 演出:宮本亜門 蝶々夫人:大村博美 スズキ:花房英里子 ケート:田崎美香 ピンカートン:小原啓楼 シャープレス:久保和範 ゴロー:高田正人 ヤマドリ:大川 博 ボンゾ:三戸大久 役人:白岩 洵 青年:牧田哲也 合 唱: 二期会合唱団 管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団 ザクセン州立歌劇場、デンマーク王立歌劇場、サンフランシスコ歌劇場との共同制作による、宮本亜門演出の新プロダクション。 宮本亜門さんのミュージカルは《アイ・ガット・マーマン》から時々見ていますが、不快な演出が多い。 「小賢しい」と言うのかな。 特に大好きなミュージカル《ファンタスティックス》を目茶苦茶にされた恨みは大きい。 ということで、宮本さんのオペラ演出を見るのは初めてです。 東京二期会にはTVで放映された栗山昌良さんのこの上なく美しい演出があるのですが、いつまでも同じ演出では新しい観客層を切り開けないのでしょうか。 各幕の前に黙劇が演じられます。 蝶々さんの自決から30年後、ピンカートンは臨終の床にいます。 そして(蝶々さんとの)息子に遺書を託します。 その遺書を読んだ息子は30年前の長崎にワープします。 この息子はずっと舞台にいて、蝶々さんの悲劇を見ています。 2000年5月6日にヘッセン州立劇場で見た《さまよえるオランダ人》でゼンタが2人出てきたのにはビックリしましたが、今となっては何十年も使い古された、ありふれた手法でしょうか。 もっとも息子は大した動きをするわけではなく、オペラは普通に上演されますので、その存在が邪魔になることはありません。 まあ、率直に言って、居なくてもいいわけです。 舞台には小さい部屋(手動で動く)が1つあるだけで、あとはカーテンと照明で良く雰囲気を出していたと思います。 プログラムによれば、高田 賢三さんの衣装がもう一つの売り物らしいけれど、全くの無駄遣い。 僕は衣装を見たくてオペラに行くわけではないからね。 ちょっと蝶々さんの露出度が高かったかな? 大村博美さんは声が太く、15歳の蝶々さんには不向きだと思いました。 2幕以降は良かったでしょうか。 バッティストー二の指揮は元気が良かった。 さて、ピンカートンが「いつか正式な結婚式を挙げる日に乾杯、アメリカ人の花嫁と!」と不実なこと極まりない歌を歌ったあと、蝶々さんの身の上を心配しているシャープレスはどのような態度を取ったら良いのでしょうか? METのミンゲラ演出では、そして藤原歌劇団演出では、シャープレスは手にしたウィスキーを投げ捨て、彼の不快感を示しています。 では本日の宮本演出では、どうなっていたでしょう? 二人はもともと(台本と異なり)ウィスキーを持っていないのですが、シャープレスはピンカートンを祝福するように握手するんですよ。 こういう時に、宮本さんはこの場面の意味が分かっていない演出家なのだな、と思うんですよ。 シャープレスは二重人格なのでしょうか? 「ある晴れた日に」は、ピンカートンが帰って来ないことを心配するスズキに対して「信じていないのね、聞いて」と歌い始める、スズキに向けて歌われるアリアです。 それなのに宮本演出では蝶々さんは突然梯子で家の屋根(?)に上がり、手すりも何もないところで歌うのです。 難曲として知られる「ある晴れた日に」を歌う歌手に無駄なストレスを与える、演出家として赦されるべきことではないと思います。 宮本さんがこれが受けると思っているのなら、困ったものです。 ヤマドリはたくさん勲章の付いた立派な軍服で現れ、偉い軍人みたいです。 僕は別にお大尽でも軍人でも良いけれど、ヤマドリが持つコミカルな部分が無くなってしまいました。 しかし何より驚いたのは部下が持つ旭日旗。 韓国は東京オリンピック2020で旭日旗の不使用をIOCに訴えたそうですが、韓国人客役の役者が登場し、旭日旗に飛びかかる趣向かと思いましたよ。 《ファンタスタィックス》でその手は使われていましたからね。 スキャンダラスな舞台を造って、それで有名になり、次の仕事が来るというのは最近の演出家のよく使う手だとは聞きますが、そのための旭日旗なのでしょうか? 第3幕、ピンカートンが傷痍軍人だという設定は、2013年9月16日にあいちトリエンナーレ2013プロデュースオペラプッチーニ作曲 《蝶々夫人》で見たことがありますが、まあ、意味不明ですね。 蝶々さんが自害をするところで青年が子供を押し出す。 青年が大きく動いたのはこの場面だけでしょうか。 これが宮本亜門にとって、最も重要な場面だったのでしょう。 スズキに任せておけばいい場面なんですがね。 最後に蝶々さん自害の場は演じられませんでした。 代わりに、奥の幕の間から蝶々さんが現れ、舞台に伸びる光の道を歩いてきます。 すると途中から元気なピンカートンが現れ、二人は抱き合いながら奥に進んだところで幕となりました。 「僕は蝶々さんの最後の希望が叶えられた」という演出なのか?と見ていましたが、プログラムを読んでいたら宮本さんは「ピンカートンが本当に愛していたのは蝶々さん」だと言っています。 それは宮本さんの読解能力に問題があるでしょう。 僕が思い出したのは長野冬季オリンピックの閉会式で、「ある晴れた日に」と共に伊藤みどりさんがせり上がったところ。 この演出をした浅利慶太さんによると「日本とアメリカの友好を表現した」とか。 このオペラは浮気者のアメリカ人に捨てられた日本女性の悲劇でしょう? この人がミラノスカラ座で《蝶々夫人》を演出したとは、とても信じられませんでした。 浅利慶太さんといい宮本亜門さんといい、ミュージカルの演出家にオペラは無理でなのでしょうか。 バックボーンが違うから。 二期会にも、次回は栗山昌良さんの演出の《蝶々夫人》をお願いしたい。 ミュージカルといえば、プログラムに《ミス・サイゴン》と《RENT》が取り上げられていたのは嬉しかった。 どちらも素晴らしい作品だから、ぜひ見ていただきたいものです。 |