東京二期会 ひどい 《三部作》
2018年9月9日(日)2:00PM 新国立劇場 オペラパレス

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  僕は2004年11月13日・14日に名古屋二期会の《修道女アンジェリカ》(エレクトーン伴奏/演出:中村敬一)を見て、すっかりこのオペラの虜になってしまいました。
 そして日本中に《修道女アンジェリカ》の公演を訪ねるようになりました(修道女アンジェリカ観劇記録)
 観劇記録をみると、関西と広島の公演が多いですね。

 一番気に入ったのは《外套》《修道女アンジェリカ》は2009年10月に見た関西歌劇団(演出:中村敬一)のの公演、、《ジャンニ・スキッキ》は2005年10月の「ひろしまオペラルネッサンス」(演出:岩田達宗)の公演です。

 また、ヤフーオークションでCDを探し求め、過去の偉大なソプラノ11人のアンジェリカを聴きましたが(CD聴き較べ)、個人的にはイロナ・トコディのCDが気に入っています。
 DVDは4種類で(DVD見較べ)ミラノスカラ座でアンジェリカを歌ったバルバラ・フリットリの演技歌唱は文化遺産とも言うべき絶品で、絶対のお勧めです。

 東京二期会の公演記録を見てみると、1995年2月に《三部作》が上演されているようです。
 それから23年ぶりに上演された今回の《三部作》が、プッチーニの製作意図を全く無視したミキエレットの酷い演出での上演となり、僕はこれがプッチーニの《三部作》だと見せられる東京のオペラファンが気の毒でたまりません。

 このプロダクションはデンマーク王立歌劇場とアン・デア・ウィーン劇場との共同製作だそうですが、このようなおかしな演出が跋扈するヨーロッパの風潮はいつまで続くのでしょうか?
 合唱は二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部、3団体合同の出演だそうですが、合唱の出番って、《修道女アンジェリカ》最後の、彼女が救済される場面、天使の声)数小節だけでは無いのかな?

 東京二期会 プッチーニ《三部作》
 2018年9月9日(日)2:00PM
 新国立劇場 オペラパレス

 指 揮:ベルトラン・ド・ビリー
 演 出:ダミアーノ・ミキエレット
 合 唱: 二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
 管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

 《外套》
 ミケーレ: 今井俊輔
 ジョルジェッタ: 文屋小百合(ぶんや さゆり)
 ルイージ: 芹澤佳通
 フルーゴラ : 小林紗季子
 タルパ: 北川辰彦
 ティンカ: 新津耕平
 恋人たち: 舟橋千尋 & 前川健生
 流しの歌うたい: 西岡慎介

 プッチーニ本来の舞台はセーヌ川に浮かぶ船の上。
 ベルトラン・ド・ビリーするオーケストラが静かにセーヌ川の流れを表現し、この物語すべてが川の上の出来事とされています。

 しかし、今回の舞台はコンテナが積まれた陸の上。
 つまり、音楽と舞台がそれぞれ勝手な世界を演奏しているわけですね。

 初めて聴くミケーレ役の今井俊輔さんは素晴らしい歌声でした。
 今井さんの豊かな声量はジョルジェッタ、ルイージとはレベルが数ランク違います。
 ジョルジェッタの文屋小百合さんはアンジェリカも歌われるので、第二部が心配になります。

 服装に特徴が無いので、大勢が並ぶと誰が誰だか分かりません。
 ミケーレとルイージがどこにいるか分からないのは困りました。

 最後の場面で、ルイージはタバコの火も付かないのに勝手に現れ、ミケーレに刺し殺されます。
 ここは時間をかけて絞め殺さないと。
 プッチーニはそういう音楽を書いているのですから。

 ミケーレは死体に外套をかけ、後から現れたジョルジェッタが勝手に外套を持ち上げて悲鳴を上げます。
 なんですか、これは?

 Wikipediaによれば、「不穏な気配を感じたのかジョルジェッタが甲板に上がってくる。ミケーレはルイージの死体を素早く自分の外套の下に隠す。(中略)彼は外套を広げ、ルイージの死骸を妻に見せる。驚愕のあまり絶叫するジョルジェッタをミケーレは引き掴み、彼女の顔を死体の顔に強く押し付ける」
 作品が本来持つ緊迫感に溢れた濃密な残酷さに較べ、今日の演出は薄い薄い。

 今回は《外套》と《修道女アンジェリカ》が続けて上演され、ジョルジェッタの文屋小百合さんが舞台の上で髪を切られ、服装を着替え、アンジェリカとなります。
 この場面が今回の演出の売りのようですが、全く無意味なアイディアです。

 プッチーニはをそれぞれ別の作品として作曲したのであり、連続して演奏することは、プッチーニの意志にに背くことです。
 貧民窟の女ジョルジェッタの髪を切れば、貴族の娘アンジェリカになるなんて、あるはずがありません。

 《修道女アンジェリカ》
 アンジェリカ: 文屋小百合
 公爵夫人:与田朝子
 修道院長:小林紗季子
 修道女長: 石井 藍
 修練女長: 郷家暁子
 ジェノヴィエッファ: 舟橋千尋
 看護係主導女: 福間章子
 修練女 オスミーナ: 髙品綾野
 労働修道女Ⅰドルチーナ : 高橋希絵
 托鉢係修道女Ⅰ: 鈴木麻里子
 托鉢係修道女Ⅱ: 小出理恵
 労働修道女Ⅱ: 中川香里

 修道院は刑務所のようで、修道女達は整列させられ、パワハラを受けています。
 字幕に映る神聖な修道院と目の前に繰り広げられる奇妙奇天烈な舞台が解離していて、プッチーニの美しい音楽が耳に入ってきません。

 アンジェリカの文屋小百合さんは予想どおり声量が少し足りないと感じる場面もありました。
 プリマドンナですから、もう少し存在感を出してはしかった。
 しかし後半の高音は頑張っておられ、おかしな演出の中、敢闘賞は間違いないところでしょう。

 修道女達のレベルは揃って高く、アンサンブルも綺麗に合っていたのですが、最も重要なジェノヴィエッファの声が小さいのは意外でした。
 どうしてこの人が選ばれたのでしょう?
 舟橋千尋さんは《ジャンニ・スキッキ》のラウレッタですから、心配です。
 プロフィールによれば愛知県出身だそうで、頑張っていただきたいものです。

 托鉢係修道女たちが托鉢から帰るときに見た馬車が、次への重要なステップとなるのですから、彼女たちには修道院の外に出てもらわなくてはなりません
 ところがミキエレットから彼女たちに与えられた仕事は学校給食のスープを配る係。
 これでは彼女たちは字幕に出て来る立派な馬車を、見ることが出来ないではありませんか。

 伯爵夫人は子供を連れて現れますが、その子供は修道女達に連れ去られてしまいました。
 伯爵夫人とアンジェリカの場面は、またまたおかしなところが多く、与田朝子さんの歌唱についてはよく覚えていないのですが、凄くは無いが不満も無いといったところだったでしょうか
 演出がおかしいので、伯爵夫人の心に寄り添うことが出来ません。

 伯爵夫人との言い合いの中でアンジェリカは遺産分割の書類を破り、サインをしませんでした。
 これでは妹アンナ・ヴィオーラは遺産を分けてもらうことが出来ず、彼女の結婚はどうなってしまうのでしょう?

 息子の死を知らされたアンジェリカは毒を飲むのでは無く、ナイフで自殺しました。
 驚いたのはベッドに立った彼女が床まで転がり落ちたこと。
 これが指定された演技なのでしょうか?
 もしそうなら、骨折したり、頭を打ったりするような危険な演技は止めていただきたい。
 何回も練習したのなら、ますます危ない。

 アンジェリカの死後、本来出番の無い伯爵夫人が子供を連れて現れ、子供はアンジェリカに抱きつき、修道女達によって連れ去られます。
 これは本当は子供は生きていたのに、伯爵夫人に「子供は死んだ」と騙されたアンジェリカが、絶望して無駄死にしたという演出でしょうか。
 ここではプッチーニが最も心血を注いだ「聖母マリアの救済」が無視れており、僕はこのような演出を赦すことは出来ません。

 《ジャンニ・スキッキ》
 ジャンニ・スキッキ: 今井俊輔
 ラウレッタ: 舟橋千尋
 ツィータ: 与田朝子
 リヌッチョ: 前川健生
 ゲラルド: 新津耕平
 ネッラ: 鈴木麻里子
 ベット: 原田 圭
 シモーネ: 北川辰彦
 マルコ: 小林啓倫
 チェスカ: 小林紗季子
 スピネロッチョ: 後藤春馬
 公証人アマンティオ: 岩田健志
 ピネッリーノ: 髙田智士
 グッチョ: 岸本 大

 《ジャンニ・スキッキ》は普通の演出で、今井さんをはじめとする皆さんが好演だったと思います。
 僕はラウレッタが「私のお父さん」歌う前に、舞台前方に進むとイラッとしてしまいます。
 この曲はスキッキに助けをお願いをする歌で、観客に向かって何かお願いする歌ではありません。
 会場に向かって歌ってはリサイタルになってしまい、舞台の流れが止まってしまいます。

 僕のデフォルトは2001年10月28日に見た、ジュゼッペ・タッディです。
 ラウレッタのお願いに、驚いたり頷いたり抱きしめたり、ラウレッタが可愛くて仕方が無い。
 モデナ歌劇場のDVDでは、アマリッリ・ニッツァがスキッキのズボンにしがみついて、お願いしていました。

 むかし「音楽の友」で、バルバラ・フリットリが「ラウレッタのような少し歌っただけで主役のような扱いを受けるような役は好きではありません」と語っているのを読んだことがあります。

 さて、スキッキの別れの挨拶も終わり、オペラが終わると、室内の大道具が自動で動き出し、最初のコンテナの場面に戻ります。

 ロボット遊びをしているようで装置の動きは面白かったけれど、まったく必然性はなく、ミキエレットは無駄なことにお金と情熱をかける演出家だと再認識しました。