三河市民オペラ 2023年公演 ウンベルト・ジョルダーノ《アンドレア・シェニエ》
2023年5月6日(土)・7日(日)2:00PM アイプラザ豊橋 大ホール
 
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 1961年の第3回イタリア歌劇団来日公演、デル・モナコとテバルディによる《アンドレア・シェニエ》は大評判となりました。
 多くの日本人はこの作品をイタリアオペラの代表作と感じたことでしょう。
 しかし、その後の上演がほとんど無い。
 僕が見たのは2005年11月26日の新国立劇場2015年6月28日(日)の関西二期会2019年6月16日の名古屋テアトロ管弦楽団(演奏会形式)の3回だけです。

 2017年の三河市民オペラ 《イル・トロヴァトーレ》は「第26回三菱UFJ信託音楽賞」を受賞した名舞台でした。
 コロナの影響もあったのでしょう、あれから6年ぶり、待ちに待った再公演です。
 僕は笛田博昭さんの大学2年生(2000年)からの追っかけで、これが75回目の観劇レポート(笛田博昭観劇記録)になります。

 JR豊橋駅から会場のアイプラザ豊橋までのタクシー代はおよそ2500円でした。
 僕はオケピットが見える(はずの)2階後部の席を選んだのですが、この劇場にはエレベーターもエスカレーターも無く、この席まで登るのは辛かった。
 その上オケピットの中を(指揮者も)見ることが出来なかったんですよ。
 開演は2PMで、第1幕後に15分、第2幕後に25分の休憩があり、終演は4:50PMの予定。
 チケット売り場でチケット発売状況を聞いてみましたが、客席数1400。
 昨日は数席余り、本日はこれが最後の1枚。
 DVDは発売されないそうです。

 三河市民オペラ 2023年公演
 ウンベルト・ジョルダーノ《アンドレア・シェニエ》
 2023年5月6日(土)・7日(日)2:00PM
 アイプラザ豊橋 大ホール

 指 揮:園田隆一郎  演出:髙岸未朝(たかぎしみさ)
 管弦楽:セントラル愛知交響楽団
 合 唱:三河市民オペラ合唱団
 合唱指揮 近藤惠子
            5月6日(土)5月7日(日)
 アンドレア・シェニエ: 樋口 達哉  笛田 博昭
 カルロ・ジェラール:  上江 隼人  今井 俊輔
 マッダレーナ:     森谷 真理  小林 厚子
 ベルシ:        山下 裕賀  加藤 のぞみ
 コワニー伯爵夫人:   武田 美保  谷口 睦美
 マデロン:       谷口 睦美  相可 佐代子
 ルシェ:        池田 真己  池内 響
 マテュー:       晴 雅彦   杉尾 真吾
 密 偵:        糸賀 修平  中井 亮一
 ピエトロ・フレヴィル: 野々山 敬之 仲田 尋一
 修道院長:       山下 玲皇奈 加護 翔大
 フーキエ・タンヴィル: 中原 憲   近藤 雅彦
 デュマ:        高柳 耕平  北山 太朗
 シュミット:      的場 正剛  大澤 恒夫
 家 令:        近藤 雅彦  中原 憲
 ジェラールの父(黙役):大澤 恒夫  晴 雅彦

 笛田博昭さん、上江隼人さん、森谷真理さん以外はオーディション(指揮:園田隆一郎 演出:髙岸未朝さんによる)で決定されたそうです。
 樋口達哉さんは合格の連絡に飛び上がって喜ばれたそうです。
 小林厚子さんと笛田博昭さんは2019年4月27日に聴いた藤原歌劇団《蝶々夫人》のAキャストですが、小林さんさえもオーディションを受けられたのでしょうか?
 
 各幕の前に時代背景が緞帳に投影されて、分かりやすい配慮がされています。
 しかし、第2幕前の「マラーが毒殺された」というのは間違い。
 ダヴィッドの絵にも書かれているように、マラーは入浴治療中にシャルロット・コルデーに刺殺されたのです。
 第4幕前の「ベルシはすでに死んでいる」という字幕はどこから来ているのでしょう?
 台本をざっと見てみたのですが、そのような記載は無かったような気がします。
 勝手に殺されたならベルシが気の毒です。

 さて三河オペラ、今回の公演も素晴らしいものでした。
 第1幕の舞台を見て貴族や召使いたちの立派な衣装に驚きました。
 頭の中で1万円札がパラパラとめくれます。
 総予算は7000万円だそうですがアマチュアなんですから経済的に大変でしょう。
 プログラムの半分は広告で、広告集めも苦労されたことでしょう。
 
 これに貧しい民衆まで出てきて、コーラスは56人だそうですが、このコーラスが圧倒的な迫力。
 合唱指揮の近藤惠子さんは1968年から岡崎高校の教諭として、岡崎高校コーラス部、岡崎混声合唱団を率い、全国大会で優秀な成績をおさめています。
 このメンバーは名フィルの6月定期演奏会(ミサ・ソレムニス)に出演します。

 キャストは5月6日(土)・7日(日)とも立派な出来でしたが、やはり笛田博昭さんのシェニエが圧倒的。
 笛田さんと小林さんの二重唱の盛り上がりには痺れ上がりました。
 園田隆一郎さん指揮するセントラル愛知交響楽団も、舞台を大いに盛り上げてくれました。

 髙岸未朝さんの演出は《イル・トロヴァトーレ》のようなマジックはありませんでしたが、このオペラにそれを求めるのは無理でしょう。
 大合唱が登場しても全員に存在感があり、すきま風が吹くことはありません。
 どうしたらこのように人を動かすことが出来るのでしょう。

 舞台には8本のギリシャ風円柱があり、あとは階段の組み合わせ。
 舞台奥には映像が投影されます。
 ドラマは舞台前方で進行しますので舞台奥の映像はあまり気にはなりませんが、雲だったりルイ16世だったり羊の群れ (@o@) だったり。
 羊は動くので、ちょっと邪魔でしたね。



 マッダレーナの有名なアリア(第3幕)ですが、字幕には(デル・モナコのDVDでも)「みんなは亡くなった母を私の部屋の戸口に運んできてくれました。母は死んで私を救ってくれたのです」となっていましたが、これが分からない。
 戸口に死体を置いて扉が開かないようにしたのでしょうか?
 それだったらマッダレーナが部屋から出ることが出来ません。 【字幕原稿:髙岸未朝】

 イタリア語の歌詞を見ると最初の一節は「La mamma morta (母は死にました)」となっています。
 「母は死にました 私の部屋の戸口で 私を助けるために」が正しいのではないでしょうか?
 今回のプログラムにはこのアリアを「亡くなった母を」と解説してありますが、亡くなった母を運んでくるのと母が部屋の前でマッダレーナを救うために死んだのでは、全く状況が異なっているでしょう。
 この歌詞ではお母さんが気の毒すぎます。

★以下のメールをいただきました。
 日本以外の国ではLa mamma morta m´hanno a la porta della stanza miaは母が私の部屋の扉の前で殺されたと訳している場合が殆どのようです。
 何故、訳が違ってくるのかは、hanno持つavereの三人称複数現在の主語を召使と考えるか、暴漢と考えるかの違いでしょうか。
 英語圏では、They killed my motherが訳として定着しているようです。

 僕は老女マデロンの部分(第3幕)が大好きで、ロジェ・アルベルトが駆け寄ってくると涙が出てきます。
 今回のロジェ・アルベルトは適役だったと思います。
 老けぶりでは6日(土)の谷口 睦美さんの方が、腰がよく曲がっていましたね。
 マデロンは2日ともカーテンコールにヨタヨタと現れ、大いに受けていましたが、ジェラールの父(黙役)の晴 雅彦さん(大阪音大教授)が、カーテンコールで実力を発揮していました。

 2019年のテアトロ管弦楽団の礒田有香さん演出、第3幕裁判の場面でイディア・レグレイが子供を連れているのに感心しました。
 レグレイは「ひとりの母親(第4幕)」なのですから。
 本日の演出で、レグレイは裁判に一人で出てきました。
 すると、子供はどこに預けてきたのか?などということが気になってしまうわけです。

 第4幕でマッダレーナとレグレイが衣装を交換したのは良かった。
 以前からいつ入れ替わるのか不思議に思っていましたから。

 あっという間にフィナーレとなり、舞台奥にはギロチンの映像が現れます。
 シェニエとマッダレーナは愛の二重唱を歌いながら、中央の階段を上ります。
 すると、ギロチンが消えてしまったんです (@o@)。
 6日(土)は技術的なミスかと思ったのですが、7日(日)も消えてしまったんですね。
 これは意図不明で、燃え上がる二重唱に水を差された感じでした。

 台本を読むと二人は馬車に乗って、ギロチンに向かうようです。
 デル・モナコとテバルディによるDVDが台本に従っているんですね。
 
 
 2011年5月3日、僕はマリー・アントワネッテが最後の日々を過ごしたコンシェルジュリーを訪れました
 その一角に「ジロンド党員の礼拝堂」があり、壁に一枚の絵が掛けられていました。
 何となく説明を読んでいた僕は、中央の椅子に座る人物が、ジョルダーノのオペラ《アンドレア・シェニエ》のモデルであるアンドレ・シェニエ(1762~1794)その人であることに気が付いてビックリしてしまいました。
 「アンドレア・シェニエ」とは「アンドレ・シェニエ」のイタリア語読みだそうです。

 この絵の題名は「恐怖政治の最後の被害者たち」というらしく、裁判と処刑を待つジロンド党の人々が描かれているようです。
 その中央に描かれるとは、シェニエはかなりの重要人物だったようです。
 シェニエの名前はフランス革命の本を読んでも出てこないけれど、僕なりにまとめると以下のようになります。

 アンドレ・シェニエは1762年、イスタンブールに外交官の三男として生まれました。
 25歳の時に駐英大使の秘書としてロンドンに赴任したシェニエは、フランス革命に共鳴して帰国し、穏健中道派の論客として知られるようになりました。
 やがてシェニエはジャコバン党と対立するようになり、危険を感じて身を隠しましたが、1794年3月7日パリに潜伏中に逮捕され、サン・ラザール監獄に140日幽閉されました。
 そして7月24日の夜をコンシェルジュリーで過ごし、7月25日に隣の革命裁判所(現最高裁判所)まで歩き、フーキエ・タンヴィルの求刑によって(?)死刑となり、馬車に乗せられて革命広場で(?)処刑されました。
 ジロンド派の処刑はロベスピエールが「テルミドール(熱月)のクーデター」で失脚した7月27日まで行われました。
 シェニエと同じ7月25日には38人が処刑されました。
 あと3日生き延びれば、シェニエは処刑されずにすんだのです(享年31歳)。

 ロベスピエールは7月27日に「テルミドール(熱月)のクーデター」で失脚しました。
 彼は28日午前2時に市庁舎で逮捕されるとき、ピストル自殺を図り、顎が吹き飛ぶ重傷を負いました。
 そしてコンシェルジュリーの看護室に運ばれ治療を受けました。
 なんと! コンシェルジュリーはマリー・アントワネットやアンドレ・シェニエと同じく、ロベスピエールが最後の時間を過ごした場所でもあったのです (@o@)。
 7月28日午後5時にロベスピエールたち22人は革命広場で処刑されました。
 ロベスピエールは顎の傷をハンカチで隠していたそうです。
 享年36歳でした。
 
 ついでに、このオペラに名前が出てくる人物について調べてみました。

 =第1幕=
 ジャック・ネッケルは、フランス革命前夜に活動したフランス王国の銀行家、政治家。
 財務長官として王妃マリー・アントワネットとその寵臣に質素倹約を進言したため、王妃や保守派貴族たちに疎まれました。
 世論を味方につけて財政改革を行おうと考え、三部会の開催を提案しました。
 フランスの財政再建は進まないまま、1781年にルイ16世によって罷免されました。
 最終的に1790年9月4日に辞職し、生まれ故郷のジュネーヴに引退しました。

 アンリ4世は1589年にブルボン朝を開きましたが、プロテスタント、カトリックと改宗を繰り返しました。
 1598年にナントの勅令を発布してカトリックとユグノーとの国内融和に努め、戦争によって疲弊した国家の再建を行いましたが、1610年に狂信的なカトリック信者によって暗殺されました。
 在位中から現代に至るまでフランス国民の間で人気の高い王の一人だそうです。

 =第2幕=
 胸像として現れるジャン・ポール・マラーは1743年、スイスに生まれました。
 1789年のフランス革命勃発後、マラーは新聞『人民の友』を発行し過激な政府攻撃をして下層民から支持されました。
 マラーはこの頃、持病の皮膚病が悪化し活動不能となり自宅にこもって1日中入浴して療養していました。
 そして1793年、面会に来たジロンド派支持者のシャルロット・コルデーに刺殺されました。
 彼はジャコバン派の盟友マクシミリアン・ロベスピエールによって神格化され、ジロンド派への弾圧強化の口実となりました。
 シャルロット・コルデーは7月17日、革命広場で処刑されました。
 享年24歳。美人で「暗殺の天使」と呼ばれています。

 =第3幕=
 デュムリエはフランス革命戦争では革命政府の軍人としてヴァルミーの戦いなどで活躍しましたが、のちに革命政府と敵対する道を選びました。
 1823年イギリスにて死亡。

 フーキエ・タンヴィルは「革命裁判所」が設置されると、検事の職に就きました。
 些細な罪でも死刑を求刑し、市民から非常に恐れられました。
 しかし「テルミドール(熱月)のクーデター」の後革命裁判所は一新され、役人や判事は罷免されました。
 フーキエ・タンヴィルは被害者の遺族に告発され、1795年にパリのグレーヴ広場で処刑されました。
 オペラでは最後に「死刑!」という判決をする人物ですね。