音楽史跡とオペラの旅 掲示板 201−250

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201. 八ヶ岳と南木佳士の旅(6) お部屋番  2003/10/21 (火) 00:21

◇八ヶ岳を巡って(2)10月13日(月・祝)

 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/saku/06bessou2.htm

 清里を過ぎ、国道141号を走ると、野辺山駅の手前に「JR鉄道最高地点」(1375メートル)がありました。
 踏切が鳴り出し、汽車の音が聞こえてきたので、あわててカメラを取り出しましたが、ギリギリで間に合って、ホッとしました。

 「海ノ口自然郷」に入った頃には、雨は土砂降り。
 この頃、集中豪雨のため増水した阿知川(長野県)で、流された人がいたんですね。

 音楽ファンの僕としては、八ヶ岳音楽堂は見ておきたかった。
 普段は結婚式場として使われているようです。
 壁はガラス貼りなのでフラッシュを使って内部の写真を撮ってみましたが、あまり上手くいきませんでした。

 「八ヶ岳高原ヒュッテ」はTVドラマ「高原へいらっしゃい」の舞台となったそうで(見たことなし)、2階には展示がありました。
 並んだサインの中に田宮二郎のサインがあって、驚きました。
 今回の放映はリメイクなんだそうです。

 「海ノ口自然郷」の一番奥にK先生の別荘がありました。
 ここからは正面に富士山が見えるそうで、この日の朝にK先生が撮られた証拠写真を載せておきましょう。


202. 八ヶ岳と南木佳士 の旅(7) お部屋番  2003/10/21 (火) 00:30

◇帰り道 10月13日(月・祝)

 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/saku/07kaeri.htm

 3時を過ぎ、帰る頃には雨もだんだんやんできました。
 そして、清里高原道路の八ヶ岳高原大橋からは、往きには見ることが出来なかった富士山を見ることが出来ました。

 「これなら八ヶ岳も見えるようになるかもしれない」と考えて清里に引き返し、八ヶ岳の展望台である平沢峠の「獅子岩」を目指しました。
 時間の許す限り、徹底的に頑張るところが、僕のいいところなんだか悪いところなんだか。
 日没時間も迫り、焦って登った「獅子岩」でしたが、残念なことに八ヶ岳は雲の中でした。

 長坂インター付近から富士山が見えたので、三脚を立てて写真を撮りました。
 諏訪湖サービスエリアからの夜景は素晴らしかったですね。

 僕は運転が嫌いなんですが、3日で走った距離は850キロメートルで、頑張りました。
 自宅到着は10時過ぎでした。


203. 《RENT》の舞台を訪ねて お部屋番  2003/10/21 (火) 00:55

 「RENTの舞台を訪ねて」に、画像を付けました。
 この頃の写真って、中央に自分が写っていて、カットするのが大変です (^_^;。

 http://homepage2.nifty.com/mnakash/2000rent/tour1.htm


204. トプシーターヴィー 真雪  2003/10/26 (日) 11:30

こんにちは 
 99年の映画「トプシーターヴィー」のDVDを昨夜ようやくみました。
 (もしかすると既にご覧でしょうか?)
 サリヴァンとギルバートが「ミカド」を作り出すお話です。
 やっと新しいパソコンでリージョン1が観られるようになったので渋谷の輸入ソフト屋さんにいったら「製作中止で入荷予定無し」と言われました。
 あわててアマゾンに問い合わせたら在庫がある契約店経由でなら入手できる、というのでそちらで注文。
 よくできた映画でしたわ..長いけど。
 何故長い?それはしっかりオペレッタナンバーが収録されているからです。
 結構お値打ちでした。
 歌詞も英字幕が出るからわかりますし。(成功は難しいし、ヒット作ができたのは凄く嬉しいけど、グランドオペラじゃないもん、という屈折した所が出ています)


206. Re: トプシーターヴィー お部屋番  2003/10/27 (月) 22:33

 「音楽の友」に《ユートピア株式会社》の評が出るかと探してみたんですが、ありませんでしたね。
 劇団四季など、ミュージカルの情報は載っているのに。

 先日、スーパー一座を応援する会の更新手続きをしました。
 そろそろ師走歌舞伎の話題も出る季節でしょうか。


205. 早速 拝見しました 吉田 淳  2003/10/26 (日) 22:58

 詳細に渡る紀行文、脱帽です。
 私も南木佳士は敬愛している作家の一人で、特に「医学生」は愛読書です。
 しかも軽井沢は個人的にも好きな場所であり、よく訪れる地です。
 なかなかあのようにはっきりと浅間山が見えることも珍しく、驚きました。
 興味深く拝見させていただきました。ありがとうがざいす。
 わたしのかわりにまた旅行をたくさんして教えて下さい。
 古典の小径…なんておもしろそうですね。よろしくおねがいします。


207. Re: 早速 拝見しました お部屋番  2003/10/27 (月) 22:39

 コメントありがとうございます。
 今度は晴れた日に浅間山や八ヶ岳を見に行きたいのですが、やはり佐久は遠いですね。
 あれから南木佳士を読み返しているんですが、現地を見ていると「分かる分かる」という部分が多いです。

> わたしのかわりにまた旅行をたくさんして教えて下さい。
 がんばります (^_^)。


208. Re^2: トプシーターヴィー 真雪  2003/10/27 (月) 23:38

 今日大須歌舞伎のお知らせが届きました。
 (野口さんは歌舞伎もパスのようです(T.T))
 年の瀬だなあ...と感じますね。


210. 大須師走歌舞伎のお知らせ(1) お部屋番  2003/10/30 (木) 23:53

 吉例 大須師走歌舞伎(スーパー一座公演)
 作:福森久助・河竹黙阿弥  台本・演出:岩田信市 

  二人吉三恋半鐘(ににんきちざこいのはんしょう)
   八百屋お七吉三  湯島のおかん吉三

 平成15年12月5日(金)〜12月23日(火) 大須演芸場
 前売り:3800円  当日:4000円

《チラシ解説の要約》
 時は江戸の初期。恋人吉三郎に会いたい一心で放火して、火あぶりの刑になった十六歳の少女「八百屋お七」の物語。
 その恋一筋の物語は多くの人々に愛され、さっそく舞台で上演され、台本は様々なバリエーションを生み、ついには幕末の黙阿弥によりお七に化けた女装の盗賊「お嬢吉三」とされてしまいます。
 純愛の吉三、悪人の吉三、これが「二人吉三」という題名のゆえんであり、有名な「三人吉三」の間違いではありません。


211. 大須師走歌舞伎のお知らせ(2) お部屋番  2003/10/30 (木) 23:54

《ロック歌舞伎通信より》
 今回はチラシにも書いた通り、いろいろなお七物語を集大成した作品です。
 八百屋お七の実話は江戸初期の天和三年(1683年)のこと。
 そのショッキングな恋物語は全国に広がり、三年後には西鶴の「好色五人女」に書かれて定着。
 今回の作者は二人になっていますが、芯になっているのは明治二年(1869年)初演の黙阿弥「吉様参由縁音信(きちさままいるゆかりのおとずれ)」。
 幕末退廃美の極みといわれ、若衆を切り刻み、女中を木に吊す、血生臭いこってり味。

 哀れな吊し責めにあう女中、お杉は柴田しのぶ。
 それを見物しながら酒を飲み交わす小堀の殿と妾お光を水谷直人と稲本奈央。
 割れ竹でお杉を責めさいなむ悪家老と奴は鎌田大資と浅野誠。
 お杉の死体遺棄を引き受ける悪坊主、弁秀は原智彦。
 それに一役買う小悪党、湯灌場吉三は間瀬礼章。

 二幕目になると、眼目のお七は吉野貴子。
 その相手役のもう一人の吉三は児見山宗志。
 お七の母親おたけは一幕で殺された柴田しのぶ。
 お七の女中は高木和子。

 本年はとても少人数で、ベテランの野口も杉山も桂も出ませんが、少人数ながら充実したお芝居になるよう、目下稽古に励んでおりますので、ご期待の程よろしくお願い申し上げます。


212. 高遠 と 江島 と 杖突峠 (10/26) T お部屋番  2003/11/01 (土) 13:02

 画像はこちらからどうぞ。
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/takatou/01takatou.htm

◇高遠 と 江島 と 杖突峠 (1)  10月26日(日)

 晴天だったので、かねてから行きたいと思っていた木曽駒ヶ岳ロープウェイを目指し出発しました。
 恵那山を正面に見る中央道は渋滞しておりまして、原因は三重衝突でした。
 空は晴れ、南アルプスはくっきり見えているのに、中央アルプスは雲がかかっています。
 仕方がないので、もう少し足を延ばし高遠に行くことにしました。

 桜の季節には人で溢れる高遠城趾ですが、もう木の葉も散っていました。
 高遠城で有名なのは武田信玄の五男、仁科五郎信盛。
 信玄の時代には天下制覇を目指した武田家ですが、攻め寄せる5万の織田信忠軍に、まともに戦ったのは、3千の兵で徹底抗戦し全滅した信盛だけ。
 本丸跡には信盛を祀る新城神社がありました。
 近くの山の間から中央アルプス(木曽駒ヶ岳)と南アルプス(仙丈ケ岳)が少しずつ見えました。

 江戸時代のお殿様には保科正之(徳川秀忠の子・会津藩祖)などという大物の名も見られますが、長く治めたのは内藤氏3万3千石。
 現在の新宿御苑は内藤家の屋敷の一部で、その北側に甲州街道に沿って造成された宿場「内藤新宿」は新宿副都心となっています。

 昼食は「華留運(けるん)」の高遠そば。
 大根おろしと焼き味噌のつゆでいただきます。
 高遠の町はひっそりとしていたけれど、この店は繁盛していました。
 おみやげは高遠まんじゅう。
 餡がぎっしり詰まった薄皮まんじゅうです。
 「亀屋」と「あかはね」を較べてみましたが、「亀屋」の方があっさり味。


213. 高遠 と 江島 と 杖突峠 (10/26) U お部屋番  2003/11/01 (土) 13:05

◇高遠 と 江島 と 杖突峠 (2)  10月26日(日)

 高遠城から三峰川方面に少し下ると、高遠町立博物館が建っています。
 内藤家ゆかりの品々が展示されていましたが、絵島と生島の人形もありました。

 高遠町立博物館の隣が「絵島囲み屋敷」です。
 絵島は甲府宰相綱豊の愛妾おきよの方に仕えました。
 宝永6年(1709年)1月、徳川綱吉の死によって、綱豊は6代将軍家宣となります。
 しかし、家宣は正徳2年(1712年)に死亡してしまいます。
 正室の天英院には子供がなく、 家宣の死後、おきよの方が産んだ家継が4歳で7代将軍となりました。
 出家して月光院と称したおきよの方の勢力は、正室の天英院をしのぐようになります。
 そして、絵島も32歳の時に大年寄りとなり、大奥のすべてを取り仕切るようになります。
 幼少の家継を補佐したのが側用人・間部詮房と補佐役・新井白石。
 天英院派の幕閣との陰湿な勢力争いの中で事件は起こりました。

 正徳4年(1714年)1月12日、絵島は月光院の名代で、何人もの奥女中を連れ、前将軍家宣のお墓参りに芝の増上寺に行き、その帰り、呉服商後藤縫殿助の誘いで 山村座の美男俳優生島新五郎の舞台を見ました。
 そして舞台がはねた後、絵島一行は生島たちを呼び、茶屋で宴会を開きます。
 ところが、宴会に夢中になりすぎて、絵島一行は大奥の門限に遅れてしまい、これが反対勢力の企てにより問題となってしまいました。

 月光院や間部詮房、新井白石を追い落とすための詮議は厳しいもので、結局、絵島には死罪が下り、生島新五郎は三宅島に遠流され、処罰は1500人にも及びました。
 月光院の口添えで死罪を免れた絵島は高遠に流され、火打ち平(ひょうじだいら)の囲み屋敷に幽閉されました。
 5年後には現在の屋敷がある花畑に移りますが、現在の建物は昔の見取り図をもとに再現されたものです。

 内藤家では再三赦免を申し出ましたが、ほかの関係者が赦免を受けても江島は許されず、この囲み屋敷に28年間閉じこめられ、61歳で死亡しました。
 内藤家の幕府に対する気遣いは並大抵のものではなく、死亡した江島は塩漬けにされ、幕府役人の到着を待って、蓮華寺に土葬されました。
 江島はかねてから「もし相果て候はば日蓮宗にて候」と語っていたそうです。
 この江島の墓は、大正5年に田山花袋によって発見されるまで、世間からは全く忘れられていました。


214. 高遠 と 江島 と 杖突峠 (10/26) V お部屋番  2003/11/01 (土) 13:08

◇高遠 と 江島 と 杖突峠 (3)  10月26日(日)

 昼食の「華留運(けるん)」は観光案内所も兼ねていて、ご主人の話では「今日は八ヶ岳がきれい」とのこと。
 八ヶ岳は二週間前にも挑戦したのですが、今日はリベンジ。
 なおも北へ杖突峠に向かいます。
 杖突峠までは高遠からおよそ20Km、30分くらいで到着しました。
 武田信玄は天下を目指し、この峠を越え、高遠から三河に攻め入ったのです。

 杖突峠には無料展望台があり、テラスからは八ヶ岳から蓼科山、八子ケ峰、美ヶ原から諏訪湖までの大パノラマを満喫することが出来ました。
 しかし、これだけすかっと見えてしまうと、かえって芸術写真にはなりませんね。

 帰りは伊那インターから駒ヶ根インターまで移動し、駒ヶ根名物・ソースかつ丼です。
 蜂の子と馬刺にも挑戦してみました。
 ちなみに、伊那名物は「ローメン」だそうです。


215. 富士山撮影旅行(1/11〜13) お部屋番  2003/11/03 (月) 19:42

 今年一月の「富士山撮影旅行」をファイルにしました。
 僕のような富士山初心者のお役に立てると思います。

 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/fuji0301/mokuji.htm


216. 二本松(智恵子の生家と鞍石山) お部屋番  2003/11/06 (木) 23:57

◇二本松 智恵子の生家と「樹下の二人」(11/2)

 今年の夏に「東北県庁巡り」をした時に二本松を訪れたのですが、あいにくの雨でした。
 僕としては「智恵子抄」で有名な安達太良山はどうしても見たい。
 再アタックするなら有名な「二本松の菊人形」の時と心に決めておりました。
 画像は http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/nihonmatu/01chieko.htm

◇智恵子の生家

 明治19年5月20日、智恵子は安達郡油井村(現在の安達町)で、造り酒屋である長沼家の長女として誕生しました。
 この地方一番の造り酒屋だった智恵子の生家は、智恵子の生家は奥州街道に面した、立派な建物でした。

 日本女子大学校を卒業後、洋画家を志した智恵子は、詩人であり彫刻家である高村光太郎と出会い、大正3年に結婚。
 しかし、父の死(大正7年)や実家の破産(昭和4年)といった出来事や、芸術家としての自己矛盾に、だんだん心を病むようになり、昭和6年、智恵子45歳の時、精神分裂の兆候が現われだしました。
 昭和7年、アダリン自殺を図り、昭和10年には精神分裂症としてゼームズ坂病院に入院。
 昭和13年10月5日死亡。52歳。

◇「樹下の二人」(大正十二年三月) 光太郎44歳?

  あれが阿多多羅山、
  あの光るのが阿武隈川。
  ここはあなたの生まれたふるさと、
  あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫( さかぐら)。

 智恵子抄の「樹下の二人」を読めば、誰だって安達太良山が見たくなるでしょう。
 結婚してからの智恵子は病気がちで、よく故郷に帰りました。
 静養中の智恵子は光太郎と2人で、裏山にあたる鞍石山へ登ったといいます。
 現在、鞍石山周辺は「智恵子の杜公園」として整備されています。
 この日は快晴だったのですが、霞がかかったようで安達太良山は見えにくかった。
 いろいろ撮影条件を変えてがんばったのですが、もともと見えないものは写りませんね。

 驚いたのは安達太良山と阿武隈川が正反対方向にあったこと。
 やはり現場に来ないと分からないことは多いですね。
 智恵子の家の酒庫はここからは見えない、とのことでした。
 詩は心象風景なんでしょう。


217. 二本松(霞ケ城と菊人形) お部屋番  2003/11/07 (金) 21:00

◇二本松 霞ケ城と菊人形(11/2)

 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/nihonmatu/02kiku.htm

◇霞ケ城(二本松城)

 2003年(平成15年)は、1643年(寛永20年)8月2日に丹羽光重公が白河より移封され、二本松藩主として入府してから360年目の節目となる記念すべき年にあたり、「二本松藩丹羽家入府360年記念事業」が行われています。
 織田家重臣・丹羽長秀の子、丹羽長信は、関ヶ原の戦いで西軍に着いたため加賀国の8万石を没収されました。
 しかし1603年に徳川秀忠の取りなしで常陸古渡1万石の大名に復活。
 大阪冬の陣・夏の陣で活躍して、1627年に陸奥・白川など4郡で10万石を与えられました。
 光重は長信の子供ですから、丹羽長秀の孫に当たるんですね。

 二本松城の駐車場に置かれているのが「戒銘石」。
 寛延2年(1749)に藩主、丹羽高寛が、藩士への戒めとして、城内の自然石に刻ませたもの。
 大石に刻まれた十六文字は、「お前がお上から戴(いただ)く俸禄(給料)は、人民の汗と脂の結晶である。下々の人民は虐げ易(やす)いけれども、神を欺くことはできない」という意味。
 元二本松市長根本尚美(61)は、6月21日火葬場工事にまつわる収賄容疑で逮捕されました。
 殿様の戒めを守らないと、こうなるんですね。

 戊辰戦争で有名な「二本松少年隊」については、後で触れましょう。

◇二本松の菊人形

 箕輪門を入ると、そこは菊人形会場。
 今年のテーマは『武蔵』です。
 武蔵の顔はどれも新之助で、ちょっと不気味でした。

 会場で仰天したのは「千輪咲」。
 中国から取り寄せたヨモギの木に次々と接ぎ木して、1本の根から1572本の菊が咲いているんです。

 第3会場は『奥州安達ヶ原』の人形芝居です。
 安達ヶ原には夏休みに行ったので、見たことがある笠石や黒塚が出てきて、人形芝居もそれなりに面白かったですね。
http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/touhoku/07nihonmatu2.htm


218. 天守閣跡と二本松少年隊(11/2) お部屋番  2003/11/07 (金) 23:35

◇二本松 天守閣跡と安達太良山 (11/2)

 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/nihonmatu/03siro.htm

 二本松城(霞ケ城)の天守閣は菊人形会場からは離れた高台にあります。
 前にも書きましたが、二本松藩が誕生したのは寛永二十年(1643年)。
 初代藩主丹羽光重が十万七百石で入城し、丹羽氏は幕末まで10代、220有余年続きました。
 二本松城は戊辰戦争に際し、西軍との徹底抗戦で城内・家中屋敷のすべてを焼失し、慶応四年(1868)7月29日に落城しました。

 過去の悲惨な歴史はさておき、ここからは安達太良山を正面に望むことが出来ます。
 安達太良山の主峰(1700M)は「乳首山」とも呼ばれているそうで、「なるほどな」というところですね。

 天守閣から下りたところに「智恵子展望台」があり、歌碑が置かれていました。
 近くには「見晴台」がありまして、一生懸命写真を撮りましたが、何処で撮ってもあまり違いが分かりませんね。

◇二本松 大隣寺と二本松少年隊(11/2)

 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/nihonmatu/04haka.htm

 藩主丹羽氏の菩提寺である「大隣寺」には「二本松少年隊」の墓もあります。
 慶応四年(1868)七月戊辰戦争の最中、十三歳から十七歳までの少年六十二名が出陣。
 七月二十九日、城内への要衝・大壇口では隊長木村銃太郎(22歳)率いる少年二十五名が果敢に戦いました。
 二本松少年隊は会津白虎隊のように同じ場所で死んだわけではありませんが、ここ大隣寺には十六名の墓が建てられています。

◇内室陰墓

 大隣寺には丹羽家代々藩主のお墓があるんですが、興味深かったのは「内室陰墓」。
 藩主の正室は江戸に住み、領地の奥方は側室でした。
 側室の子供が藩主になったケースもあるそうですが、側室はあくまでも陰の存在でした。
 で、お殿様とは別に、側室の墓が「内室陰墓」として並んでいました。

 15時28分の東北線で郡山へ。
 この区間では安達太良山がきれいに見え、僕はたいへん満足でした。
 安達太良山は郡山駅からも見えていましたね。


219. カレッジオペラ《沈黙》 11/9 お部屋番  2003/11/10 (月) 23:26

◇カレッジオペラ《沈黙》

 例年レベルの高い公演を見せてくれる大阪音大カレッジオペラ。
 今年の演目は《沈黙》で、チケットは早々と予約したんですが、よくよく考えたら当日まで作曲者の名前を知らなかった (^_^;。
 カレッジオペラなら間違いあるまい、と信じているわけです。
 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/chinmoku/chinmoku.htm

    20世紀オペラシリーズV 《沈黙》2幕
2003年11月9日(日)2PM ザ・カレッジ・オペラハウス

   作曲・台本:松村禎三   原作:遠藤周作
      指揮:山下一史   演出:中村敬一

    ロドリゴ:小餅谷哲男  フェレイラ:井原秀人
   キチジロー:藤村匡人     モキチ:松本薫平
     オハル:石橋栄実

    合 唱:ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
   児童合唱:ころぽっくる合唱団
    管弦楽:ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団

 原作は遠藤周作の小説。
 ポルトガルの若い司祭ロドリゴは使命感に燃え、キリシタン禁制時代の日本に潜入したが捕らえられ、ついには自ら踏み絵を踏むこととなる。

 オペラ全体としての印象は当然ながら暗い。
 どうも作曲者本人のテクストが上手くいっていないような気がする。
 説明的なせりふが多い。
 ロドリゴと先に転んだフェレイラとの対面シーンがクライマックスなんだろうが、今ひとつ盛り上がりに欠ける。
 何度も出てくる裏切り者キチジローがしつこい。

 しかし、上演としては例年通りのレベルの高い仕上がり。
 中村敬一さんは新国立劇場でも《沈黙》の演出をしたそうだ。
 ほとんど出突っ張りの小餅谷さんは大健闘。
 他の歌手もオーケストラも、関西はレベルが高い。

 カーテンコールに作曲者の松村禎三さんが出てきたが、素晴らしい公演をしてもらい、満員の観客からの拍手を受けるとは、作曲者冥利に尽きるというものだろう。


220. 7000番 お部屋番  2003/11/11 (火) 19:31

カウンターが7000番になりました。

 平成14年(2002年)年末にHP作成。
 1月14日に 掲示板セット。
 3月13日に Yahoo! に登録。
 この時点で、カウンターは575番。

 3月27日に 1000番。
 4月23日に 1500番。
 6月 2日に 2200番。
 7月 4日に 3000番。
 7月31日に 4000番。
 8月31日に 5000番。
10月 8日に 6000番。 
11月11日に 7000番。


222. 細雪(中日劇場)11/5 お部屋番  2003/11/15 (土) 22:45

 僕はかつて文学青年でありまして、谷崎潤一郎のファンでした。
 日本でノーベル賞にふさわしい作家は、夏目漱石、谷崎潤一郎、三島由紀夫の3人だと考えています。

 大阪・船場で江戸時代から続く木綿問屋の蒔岡商店の四姉妹、長女の鶴子(佐久間良子)、二女の幸子(山本陽子)、三女の雪子(南野陽子)、四女の妙子(遠野凪子)の物語。

 初演以来評価の高い舞台だそうですが、谷崎潤一郎の絢爛たる文章を視覚化するのは難しいようで、それなりに楽しみましたが、僕のイメージとは違いました。

 どのように違ったのか、確認のためにもう一度あの分厚い小説を読み返す元気もありませんけどね (^_^ゞ。


223. N響・広上《大地の歌》11/10 お部屋番  2003/11/15 (土) 22:53

 広上淳一さんが名フィルの副指揮者だった頃、我がオケの小さいコンサートの指揮をお願いしたことがあります。
 僕は帰り道が同じ方向だったので、ファミリーレストランで夕食を御一緒(おごった (^_^) )しながら、いろいろとお話をする機会がありました。
 「何時まで指揮者をしていられるか。来年クビになれば教師になるしかない」など、将来についての不安を語っておられたのが印象的でした。
 当時の広上さんは楽譜に首っ引きで、「本当にプロなの?」と感じたくらいで、これほどの大物になるとは夢にも思いませんでした。

    NHK交響楽団定期演奏会(愛知県芸術劇場シリーズ)
     2003年11月10日(月)6:45PM

           指揮:広上淳一
       ヴァイオリン:ボリス・ベルキン
      メゾ・ソプラノ:加納悦子
         テノール:ドナルド・リタカー

      プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
         マーラー:交響曲《大地の歌》

 仕事の都合で、マーラーだけ聴きました。
 最初は厭世的な《大地の歌》にしては明るすぎるのではないか? と聴いていたのですが、第六楽章「告別」には、加納悦子さんの絶唱とも相俟って、圧倒的な感銘を受けました。
 加納さんの名前は初めて見ましたが、東京芸大を卒業してケルン歌劇場で活動しておられる方だそうです。
 最後の「ewig(永遠に)」を繰り返す有名な部分には、「いま自分はとんでもない音楽を聴いているのだ」という認識を持ちながら聴いていました。

 僕は作曲家ゆかりの地を訪れる旅をしておりまして、マーラーの別荘では
アッター湖のシュタインバッハ
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/1993natu/10steinbach.htm
ヴェルター湖のマイヤーニッヒ
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/maiernigg.htm
を訪れています。

 数年のうちに、残されたトブラッハ(大地の歌が作曲された別荘)を訪れなくては、と考えているんですけどね。


224. プロコフィエフ《戦争と平和》(11/16) お部屋番  2003/11/17 (月) 00:54

 チケット代が高い有名歌劇場の来日公演は、ダイレクトメールをもらっても目が自然にワープしてしまうんですが、登場人物が多いため世界的にも上演の機会が少ない《戦争と平和》となればやむをえません。
 しかし、二階後ろのB席で3万3千円。
 新幹線代も合わせて二人で十万円を超える出費は、正直痛いものがあります (^_^;。

   キーロフ・オペラ来日公演  プロコフィエフ《戦争と平和》
      2003年11月16日(日)NHKホール

       指 揮:ワレリー・ゲルギエフ
       演 出:アンドレイ・コンチャロフスキー

アンドレイ・ボルコンスキー公爵:ウラディーミル・モロース
       ナターシャ・ロストワ:タチヤーナ・パヴロフスカヤ
   ピエール・ベズーホフ伯爵:ゲガム・グリゴリアン
  アナトール・クラーギン公爵:オレグ・バラショフ
   ミハイル・クトゥーゾフ元帥:セルゲイ・アレクサーシキン
     ナポレオン・ボナパルト:フョードル・モジャーエフ

 初めて見る演目なので、興味は作品自体になります。
『第一幕』
 ナターシャはアンドレイと婚約しているが、アナトールと駆け落ちしようとして失敗する。
『第二幕』
 ナポレオンはモスクワに進行し、アンドレイは戦死する。
 やがてフランス軍は吹雪の中を敗走する。

 プログラムには悪名高きフレンニコフによる「断片的な構成で、各場面が一つのまとまった構成の下に書かれているとは言えない」という批判が載っているんですが、僕も同じ感想なので困ってしまいます (^_^;。

 第二幕はスターリンのために書かれたものでしょう。
 ショスタコーヴィッチ作曲《森の歌》のようなロシア賛歌には「プロコフィエフも苦労しているな」と同情しながら見ていましたが、会場の拍手は多かったですね。
 そういえば、ロビーで共産党の志位委員長を見掛けました。

 装置は吊り道具を使った簡素なものでしたが、回り舞台を使っているので、お金はかかっているのかもしれません。
 指揮、歌手に不満はありません。
 一生一度(たぶん)の機会を与えていただいたことには感謝しています。


225. パソコンが入院 お部屋番  2003/11/17 (月) 00:58

 8月に買ったばかりのパソコンが、起動時の異常音で入院してしまいました。
 入院予定は2週間だそうで、しばらくHPの更新が出来ません。
 カフェテラスは別のパソコンから書き込んでいます。
 ハードディスクをフォーマットされて帰ってきたらどうしましょう?


226. 異説・カルメン情話(11/20) お部屋番  2003/11/21 (金) 00:49

 2000年・名古屋能楽堂の「能形式による《ドン・ジョヴァンニ》」で高い評価を得た松尾葉子さんが、今回は「文楽様式による《異説・カルメン情話》」を企画・上演しました。
 仕事の都合で第二幕からの観劇でしたが、これはなかなか質の高い公演でした。

     セントラル愛知交響楽団第64回定期演奏会
      文楽様式による《異説・カルメン情話》 
      2003年11月20日(木)6:30PM
        愛知芸術劇場コンサートホール

     指揮:松尾葉子     演出・振付:五條園美
   カルメン:河野めぐみ    ドン・ホセ:神田豊壽
   ミカエラ:池田京子   エスカミーリオ:森口賢二
    義太夫:竹本駒輝       三味線:鶴澤三寿々

 本質的には、義太夫・三味線を語り手とした《カルメン》のハイライト。
 オーケストラの後ろに舞台を作り、歌と演技はこの舞台上でされる。
 大道具は一切なし。

 演出の五條さんは名古屋の日本舞踊家のようだが、プログラムによれば、時代を近松の江戸中期、場所は吉原あたり、ホセは同心、カルメンは遊廓の女、エスカミーリオは旗本で闘牛士、と設定したそうだ。

 歌手の演技は人形振り、後ろには黒子の人形遣いが付いている。
 アリアになると邪魔にならないよう黒子は退くが、歌手は人形振りで歌う。
 黒子は後見の役目もあり、引き抜きをして衣装を一瞬にして早変わりさせたりする。

 第三幕前の間奏曲では、フルートの美しいメロディーをバックに、カルメン、ホセ、エスカミーリオによる、人形振りの演技があったが、これは夢のように美しかった。
 最後の修羅場で、カルメンがホセに投げつけるのは指輪ではなく簪。

 歌手達の人形になりきった演技も見事だったし、演出家・振付家の意志が隅々まで徹底されていることにも感心した。
 無念だったのは、僕が文楽を見たことがなく、何処までが文楽の表現なのかが分からなかったこと。
 チケット代が《戦争と平和》の10分の1だったのも、たいへん嬉しかった (^_^) 。


227. 二期会《ルル》11/23 お部屋番  2003/11/26 (水) 23:51

         アルバン・ベルク作曲 《ルル》全三幕
       2003年11月23日(日)2PM 日生劇場
          指揮:沼尻竜典  演出:佐藤 信

              ルル:飯田実千代
     ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:西川裕子
          シェーン博士:黒田博
            アルヴァ:藤川泰彰

 魔性の女ルルと関係を持った男は次々と死んでしまい、ついにロンドンの売春婦となったルルは、切り裂きジャックに殺される。

 今回は三幕版の日本初演で、オペラファンの注目を集め、難解なオペラなのに三回の公演のチケットは売り切れたそうで、めでたいことです。
 僕はひたすら退屈でしたが、このような作品に挑戦した関係者の努力には、賞賛を惜しむものではありません。

 12音技法・無調の音楽とは、覚えやすいメロディを拒否した音楽でしょうか。
 楽譜を見ているオケはまだしも、歌なんかどうやって暗譜するんでしょう?

 ルル役の飯田さんは、もう何年前でしょうか、名古屋二期会の《ねじの回転》家庭教師役を見たことがあります。
 京都大学出身というインテリ美人にはピッタリの役で、それ以来ちょっとファンです。
 今回は東京での初主役ということで、緊張気味だったでしょうか。
 シェーン博士の黒田さんは素晴らしかったですね。

 作品も良く知らない僕が言うのもなんですが、演出はあまり面白くなかった。
 この作品にはもっと官能性が必要なのではないでしょうか?
 最後のスーツなんか、落ちぶれた売春婦には見えません。
 ルル=下着姿というのが常識だと思っていましたから、ルルの露出度が少ないのは意外でした。
 オペラを見て「もっと脱いで!」と期待するのは、あまり品が良くないでしょうか (^_^ゞ?


229. パソコンの故障について お部屋番  2003/11/29 (土) 01:11

 8月にヤマダ電器で「フロンティア神代」という安いパソコンを買いました。
 ところが起動時に雑音がするんです。
 で、ヤマダ電器に持っていったところ、メーカーに送って修理することになってしまいました。
 それ以来、ホームページの作業が出来ず、苦しい日々を送っているわけです。

 もう2週間も過ぎたので、状況を問い合わせてみました。
 そうしたら、故障はファンなんだそうですが、韓国製の部品が無くて、いつ入荷するかも分からないので、パソコンは工場に放置してあるんだそうです (@o@) 。
 さしあたり、パソコンは返してもらうことにしましたが、2週間のあいだ何の修理も連絡もせずにいたメーカーは信頼できませんね。

 ということで、当分ホームページの手入れが出来ません。
 大須師走歌舞伎のレポートは出来るのでしょうか?


232. 吉例顔見世大歌舞伎(11/23) お部屋番  2003/11/29 (土) 01:39

 二期会《ルル》の終演後、地下鉄で歌舞伎座に移動します。
 僕は時間を無駄にせず、スケジュールが許すだけのものは見る主義です (^_^) 。
 歌舞伎座は江戸情緒満点で好きですよ。

      歌舞伎四百年吉例顔見世大歌舞伎
      近松門左衛門作 心中天網島『河庄』

          紙屋治兵衛:雁治郎
         紀の国屋小春:時蔵

 紙屋治兵衛は妻子がありながら遊女小春と深い仲になり、家庭も仕事も行き詰まり、心中の約束をしている。
 治兵衛の兄の孫右衛門も弟の身を案じ、侍の姿をして小春の本心を確かめに来る。

 やはりこのような作品は通し狂言で見たいですね。
 ハイライトではちょっともの足りません。
 孫右衛門という役は味がある面白そうな役で、富十郎が病気降板したのは残念でした。

 それから、イヤフォンガイドは分かりやすくていい。
 テレビ放送にも付けてもらいたいものです。


233. マンマ・ミーア(11/24) お部屋番  2003/11/29 (土) 22:43

     劇団四季ミュージカル《マンマ・ミーア!》
      2003年11月24日(月・休)1PM
      電通四季劇場『海』(カレッタ汐留)

 1970年代に大活躍したスェーデンの4人組「ABBA」。
 「ダンシング・クィーン」など、彼らのヒット曲を使って作り上げたミュージカルが《マンマ・ミーア》です。
 1999年4月にロンドンで初演。
 劇団四季の公演は、もう1周年を迎えていますが、この日もチケットはソールドアウトでした。

 エーゲ海に浮かぶ小さな島。
 小さなホテルを切り盛りするシングルマザーのドナ(保坂千寿)に育てられた20歳のソフィ(吉沢梨絵)は、結婚式を間近に控え、自分の父親の可能性がある3人の男性に招待の手紙を出した。
 そして彼らがやって来て‥‥

 なによりABBAの曲がすばらしい。
 使われているのは「チキチータ」「ダンシング・クィーン」「マンマ・ミーア」「マネー、マネー、マネー」など全22曲。
 原曲から歌詞の変更はしていないそうですが、笑わせて、しんみりさせて、上手く物語を組み立てたものだと感心してしまいます。

 僕は保坂千寿さんのファンなんですが、このような気の強い女性は彼女のキャラクターにぴったり。
 他のキャストも劇団四季の実力派ぞろいで、名古屋公演があれば何回か通ってみたいミュージカルでした。


235 シチリアの夕べの祈り(11/29) お部屋番  2003/11/30 (日) 21:42

 びわ湖ホールでは、毎年ヴェルディのオペラの日本初演を行っています。
 今年は《リゴレット》《トロヴァトーレ》《椿姫》の後、1855年に初演された《シチリアの夕べの祈り》の日本初演です。
 昨年の《エルナーニ》は空席が目立ったのですが、今年は満席で、ビックリしました。
 ロビーからの琵琶湖の眺めは絶景ですが、残念ながらこの日は雨でした。

          《シチリアの夕べの祈り》
        2003年11月29日(土)2PM
           びわ湖ホール・大ホール

       指揮:若杉 弘  演出:鈴木敬介
   モンフォルテ(フランスのシチリア総督):直野 資
       エレナ公女(前シチリア王の妹):横山恵子
       アルリーゴ(公女を愛する若者):水口 聡
        プローチダ(独立運動の志士):小鉄和広

『シチリアの晩鐘』
 1282年3月30日復活祭の月曜日、フランス王の叔父アンジュー伯シャルルの圧制下にあったシチリアで、晩鐘を合図に島民がフランス兵を虐殺し、結果的に四千人ものフランス人が殺されたという事件。
 この歴史的事実から言えば、オペラの題名は《シチリアの晩鐘》が適切なのでしょう。
 オペラでも、ポイントは「祈り」ではなく、結婚式の「鐘の音」でした。

 ヴェルディのオペラは支離滅裂なストーリーが多いのですが、この作品は比較的不満が少ないものでした。
 仇のはずのモンフォルテとアルリーゴが実は親子だったという、とんでもない設定を受け入れられればね (^_^) 。
 音楽も魅力的だし、もっと上演されても良い作品なのではないでしょうか?

 音楽的には例年通りのレベルの高い仕上がりで、中でも横山さんのドラマティックソプラノが気に入りました。
 円形劇場のセットを使った演出は可もなく不可もなく、まあ適切なものでした。
 しかし、女性プロンプターの声には困りました。
 山びこの反対現象が、3階最後列でもよく聞こえるんです。
 「よほど暗譜が出来ていないのか?」というロビーの声もありました。

 京都行きの列車は事故があって到着が遅れ、すさまじい大混雑となりました。
 来年の演目は《十字軍のロンバルディア人》です。


236. パソコンが戻りました お部屋番  2003/12/02 (火) 01:12

》そうしたら、故障はファンなんだそうですが、韓国製の部品が
》無くて、いつ入荷するかも分からないんだそうです (@o@) 。

 このファンは特殊なサイズで、他の会社のものは使えないんだそうです。
 結局、ヤマダ電器星ヶ丘店にあった新品からファンを取って、僕のパソコンに取り付けてもらう (@o@) という荒技で、パソコンが戻ってきました。
 事情が分かってから、ヤマダ電器にはユーザーの立場に立った対応をしていただき、たいへん感謝しています。
 しかし安いパソコンには落とし穴がありますね。
 取り替えたファンだって、いつまた故障するかもしれないし。
 でも、このパソコンを使い続けなくてはならないし‥‥。
 さしあたり大須師走歌舞伎の報告は出来そうで、ほっとしています。


238. 大須師走歌舞伎(12/4) お部屋番  2003/12/06 (土) 15:08

 12月4日(木)のプレビュー公演に行って来ました。
 さしあたり、画像をアップしました。
 トップページの「大須師走歌舞伎」からお入り下さい。


239. 《二人吉三恋半鐘》その1 お部屋番  2003/12/07 (日) 00:23

 画像は http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/review/shiwasu03/1.htm
 公演は23日(火・祝)まで行われています。

       大須師走歌舞伎 スーパー一座公演
   《二人吉三恋半鐘・ににんきちざこいのはんしょう》
    2003年12月4日(木)7PM 大須演芸場
   作:福森久助 河竹黙阿弥  台本・演出:岩田信市

      弁秀(破戒坊主、お光の兄):原 智彦
     吉田忠左エ門(小堀家の忠臣):原 智彦
      小堀弥兵次(小堀家の養子):水谷真人
  釜屋武兵衛(お七に片思いの商人):水谷真人
     小堀吉三郎(小堀家の後継ぎ):児見山宗志
   幡代龍左エ門(小堀家の悪家老):鎌田大資
      伊東吉之進(小堀家の忠臣):斎藤悠里
        湯灌場吉三(湯灌場買い):間瀬礼章
            八百屋お七:吉野貴子
            お杉(腰元):柴田しのぶ
  お光(小堀弥兵次の妾、実は吉三の情婦おかん):稲本奈央

 僕は歌舞伎は門外漢なので、以下の文章はプログラムの受け売りです。
 恋人吉三郎に会いたい一心で放火して、火あぶりの刑になった十六歳の少女「八百屋お七」の事件があったのは、江戸初期の天和三年(一六八三年)。
 その恋一筋の物語は人々を魅了し、西鶴の「好色五人女」に書かれ、舞台で上演され、様々なバリエーションを生み、ついには幕末の河竹黙阿弥により、お七に化けた女装の盗賊「お嬢吉三」とされてしまいます。
 今回の大須歌舞伎は「八百屋お七物」を、黙阿弥の明治二年(一八六九年)初演「吉様参由縁音信」(きちさままいるゆかりのおとづれ)を中心にまとめた上演です。


240. 《二人吉三恋半鐘》その2 お部屋番  2003/12/07 (日) 00:24

『一幕』
 小堀家乗っ取りを企む小堀弥兵次、お光、幡代龍左エ門は、忠臣・伊東吉之進に毒を飲ませ、指を切り落とし、責め殺す。
 腰元お杉は牢に閉じこめられた吉三郎を助け出すが、木に吊されて、これも責め殺される。
 幕末デカダンス、血みどろ残虐趣味の極みですね。
「二幕もこの調子だったらどうしよう」と心配したんですが、ここまでは序章で物語が本当に動き出したのは二幕からでした。
 主役は初めての稲本奈央さんですが、実に立派なできでした。

『二幕』
 二幕は湯灌場吉三とおかん、小堀吉三郎とお七の、二組のカップルの物語。
 「湯灌場買い」とは、納棺する前に脱がせた死者の着衣などを買い集める最底辺の職業です。
 二幕には、お七が欄間の天女と入れ替わったり、弁秀が「お土砂(おどさ・四国霊場などで加持祈祷した、有難い砂)」をかけると、悪人がぐにゃぐにゃになってしまうとか、笑わせる見所が多い。

 お七が火をつける場面は、義太夫浄瑠璃でお七が文楽人形となる「人形振り」。
 燃える火の中で、上方に逃げようとした吉三とおかんは、捕り手に囲まれ自害し、許されたお七は小堀吉三郎とめでたく結ばれる。
 滅びの美学というか、死んでいく吉三とおかんの悪人二人が魅力的でした。

 終演後は恒例の富くじ。
 今年の景品は「野菜せんべい」でした。


241. Re: 《二人吉三恋半鐘》その2 真雪  2003/12/08 (月) 22:56

 面白い構成でしたね。
 ああいう場所に火の見櫓組むとは思いませんでした...。
 日舞用の「櫓のお七」とは曲もちょっと違うようでした。
 でも生の義太夫が聴けて嬉しい。踊りたくなっちゃいます。
 あの「花道仰向け滑り落ち」の飛距離は凄いです。
 いくら黒子さんがいるといっても怖いでしょうね。
 最後の幕の殺陣も綺麗に決まって、悪役カップルが良かったです。
 18日にまた別の友人を連れて見に行く予定です。


242. 先日大須にいきましたよ みずさわ [URL]  2003/12/11 (木) 01:51

 ご無沙汰しております。
 懲りずに札幌から6日の夜の部に行ってまいりました。

 去年とくらべてあっさり気味でしたが、なかなか面白かった。
 去年の大凧の仕掛けを見て度肝を抜かされましたので、花道の使い道を気にしながら観てましたが、今回はラストの半鐘でしたね。(笑)

 大須は何度行っても面白いですね。
 インド茶店はあるわ、スジャータまつり(結局一度もいってないが)はあるわで、個人的に師走の大須は大好きです。(笑)


243. Re: 先日大須にいきましたよ お部屋番  2003/12/11 (木) 15:25

 みずさわさん、こんにちは。

> 去年の大凧の仕掛けを見て度肝を抜かされましたので、
> 花道の使い道を気にしながら観てましたが、
> 今回はラストの半鐘でしたね。(笑)

 昨年の大凧は特別でしたね。
 今回でも、和服を着て梯子を登るのは大変でしょう。

> 大須は何度行っても面白いですね。

 今の大須のトレンドは、6日にオープンした大須中華街。
 次の機会には行ってみたいと思います。


244. 8000番 お部屋番  2003/12/11 (木) 15:27

  カウンターが8000番になりました。

  平成14年(2002年)年末にHP作成。
  1月14日に 掲示板セット。
  3月13日に Yahoo! に登録。
  この時点で、カウンターは575番。

  3月27日に 1000番。
  4月23日に 1500番。
  6月 2日に 2200番。
  7月 4日に 3000番。
  7月31日に 4000番。
  8月31日に 5000番。
 10月 8日に 6000番。 
 11月11日に 7000番。
 12月11日に 8000番。


245 Re: 8000番 みずさわ [URL]  2003/12/11 (木) 20:35

>  カウンターが8000番になりました。
 どうやら、私が踏んだみたいです。
 「うそだろ?と」思って再読み込みしたら8001番になったので…。


246. 平安の恋(名音大・12/12) お部屋番  2003/12/18 (木) 22:33

     名古屋音楽大学声楽学科《平安の恋》
    ヘンリー・パーセル《ディドとエネアス》より
 2003年12月12日(金)7PM 名古屋市民会館中ホール
    指揮:稲垣宏樹  演出・日本舞踊振付:西川まさ子

 ヘンリー・パーセルの《ディドとエネアス》を「源氏物語」に置き換えた公演。
 遅刻して途中からの観劇なので、何がなんだかよく分かりませんでした。
 日本語の歌を聞き取るのは難しい。

 最後に桜姫(葵の上・寺本麻里)が自殺したので、この人がディドだったのかと思ったのですが、後ろから現れたもう一人の女性・夕月(六条の御息所・佐藤沙絵子)がまた長々と歌うので混乱してしまいました。
 あとでプログラムを読んだら、ディドを二人の女性に分身させたんだそうです (@o@) 。

 西川まさ子さんの演出は気合いの入ったもので、舞台転換の多い立派な装置でした。
 歌はあまり感心しませんでした。
 光の御子(光源氏)の松下雅人さんだけがプロで、音大生との力の差を見せつけました。
 でもカーテンコールでは、「みんなよく頑張ったね」と一生懸命拍手しておきました。

 会場の名古屋市民会館は金山にありまして、「栄」で地下鉄東山線に乗り換え、本山からバスで帰りました。
 明日からは、金山から我が家のある「自由ヶ丘」まで地下鉄一本になるんです \(^o^)/。


247. 地下鉄4号線開通(12/13) お部屋番  2003/12/15 (月) 00:23

 数十年来の地域住民の夢だった地下鉄4号線(名城線)が、2003年12月13日(土)に開通しました。
 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/chika/1jiyuu.htm

 我が家から自由ヶ丘駅まで、所要時間は3分 (^_^)。
 今まで名古屋の中心である「栄」に行くには、バスに乗り「本山」で地下鉄に乗り換えていました。
 これからは本山とは反対方向の「新瑞橋」行きに乗り、砂田橋、黒川経由で、市役所、久屋大通、栄、矢場町、上前津、金山は乗り換えなし。

 「栄」までの所要時間は18分。
 6時36分の地下鉄に乗れば、7時開演のオペラ(愛知芸術劇場)に間に合う計算です。
 「金山」の名古屋市民会館でも乗車時間は25分です。


248. 《トゥーランドット》名芸大 お部屋番  2003/12/19 (金) 22:35

 毎年レベルの高いオペラ公演をしている名古屋芸術大学。
 今回の演目はプッチーニの大作《トゥーランドット》。
 例年に較べ2倍のチケット代(2000円)はちょっと気に入りませんが、楽しみに行ってきました。

     名古屋芸術大学オペラ公演《トゥーランドット》
      2003年12月17日(水)6:30PM

        指揮:古谷誠一  演出:森泉博行
        トゥーランドット:仲田美喜
             カラフ:笛田博昭
             リュウ:児玉弘美

 これは期待通りのなかなかに充実した公演でした。
 指揮の古谷さんと、演出の森泉さんは、いずれも名古屋芸術大学教授。
 古谷さんの指揮は例年通りのすばらしさ。
 森泉さんの演出を見るのは初めてでしょうか、抽象的な装置を
有効に使った舞台で、大いに満足しました。

 キャストは名古屋芸術大学の卒業生。
 中でも特筆したいのはカラフ役の笛田博昭さん。
 初めて拝見しましたが、芯の通った豊かな声量、長身で舞台栄えがして、「歌っているのがホセ・クーラだ」と言われても、納得してしまうくらいの出来栄え。
 有名な「誰も寝てはならぬ」の最後を高らかに歌い上げれば、会場からは割れんばかりの拍手が沸きあがります。
 ほかのキャストはそれなりの出来でしたが、リューが自殺する場面では泣かせてもらったし、これで2000円なら文句はありません。
 名芸大は名古屋の「カレッジオペラ」でしょうか。


248. 富士山撮影旅行・12月21日(日) お部屋番  2003/12/23 (火) 01:21

 12月20日午後10時30分に写真クラブで富士山撮影旅行に出かけました。
 3時には本栖湖に到着しましたが、既に撮影スポットには多くの三脚が並べられていました。

◇本栖湖の夜明け
 しばし仮眠を取り、5時から行動開始です。
 日の出時間は6時51分ですが、実際に富士山の後ろから日が差し始めるのはもう少し遅くなりました。
 この日は雲ひとつない快晴で、面白い写真にはなりませんでしたが、ほぼ徹夜で頑張った努力は認めてください (^_^ゞ。
 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/fuji031221/01yoake.htm

◇天下茶屋(御坂峠)
 太宰治は昭和13年9月13日から同年11月15日までの約2ヶ月間、御坂峠の天下茶屋に滞在し、執筆に励みました。
 この体験をもとに、昭和14年太宰治30歳の時に「富嶽百景」が書かれました。
 天下茶屋の名前は、徳富蘇峰がここを富士の眺め「天下第一」としたことによります。

 太宰はここからの富士山を好まず、「これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割(かきわり)だ」と書いています。
 当時の建物は昭和53年台風により崩壊し、その後昭和58年4月に現在の茶屋が再建されました。
 御坂峠には「富士には月見草がよく似合う」という文学碑が建っているそうです。
 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/fuji031221/02dazai.htm

◇その他
 精進湖、河口湖、天下茶屋(御坂峠)、忍野と回ってきましたが、なにせ雲一つない快晴なので、あまり面白い写真は撮れませんで
した。
 帰り道の富士川パーキングエリアからも、雲一つない富士山がよく見えていました。
 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/fuji031221/03sonota.htm


249. 行くぞ!ウィーン・ブダペスト お部屋番  2003/12/22 (月) 22:27

 最近は物騒なので海外旅行にも腰が引けていたんですが、今度の正月は普通に休んでも8連休。
 それなら海外に行くしかないではありませんか。
 ということで、今回はブダペストとウィーンに行くことにしました。

 今回のテーマは、ブダペストでは后妃エリザベート。
 国立博物館にあるという彼女がルケーニに刺されたときに着ていた服が見たいし、彼女が愛したゲデレ(グドゥルー)の館にも遠征したい。
 他に、リスト、バルトーク、コダーイの記念館。
 しかし、月曜休館の施設が多く、予定を立てるのがが難しい。
 中でもコダーイ記念館は月・火が休み (-_-) 。
 それから産褥熱で有名なゼンメルワイス記念館。
 国立オペラ劇場は《オテロ》なんですが、ソールドアウトと言われてしまいました。
 「TICKET」の看板を持って並んでみますか?

 ウィーンのテーマはブラームスと彼の友人だった大外科医のビルロート。
 彼らの自宅、病院、記念碑。
 あと、ホームページ充実のため、いろいろお墓を回ってきたい。
 雪が無いことを祈るばかりです。
 ウィーンではミュージカル《エリザベート》とフォルクスオパー & シュターツオパーで《こうもり》を見る予定です。


250. Re: 行くぞ!ウィーン・ブダペスト ぶりちょふ  2003/12/28 (日) 14:05

 よろしおますなぁ。
 今年はビープルがシュターツオパーから降りている代わりにフォルクスオパーのほうで登場しますね。
 ほぼ引退状態とのウワサで、日本に来るのも今年が最後かもと言っていたようです。
 楽しんできてくださいね。
 
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