音楽史跡とオペラの旅 掲示板 51−100

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51. Re^8: 彼女はいつ妊娠したのか? グラーネ  2003/03/30 (日) 23:34

お部屋番さん 
 ジークリンデの科白からの考察、興味ぶかく拝見しました。
>ジークリンデは第二幕で「汚れた私は、気高い貴方にふさわしく
>ない」と歌っていますよね。
>すると、ジークリンデはジークムントが兄だと知ったときから、
>彼を受け入れることが出来なくなっているのではないでしょうか?
 そこまでジークリンデは潔癖でしょうか?
 なにしろヴォータンの子供ですから〜。^^;
 でも、後になって愛のないフンディングを受け入れていた過去を後悔した、というところではないでしょうか。

> ということで、二重唱の間かな? と。
 扉が開いて悲鳴を上げるリンデをいたわる「愛の賛歌」の部分ですよね。
 リンデは最初こそ「身も心もとろけそう」なんて言っていますが、すぐにムントの風貌や声を冷静に観察していますもの。
 「愛の賛歌」は情熱的ですが、しかし、ソレをあまり感じないです。 
 たいていの人がソレを感じるのはジークムントの歌が終わっての後奏ではないでしょうか?
 テンポも速まり、どんどん昂ぶって金管が吠える! あれは生々しいですよ〜。

>また、だとすれば、一幕最後の「貴方は自身の妹を剣と共に得た
>のです」という歌詞は、ジークリンデの絶望の叫びだという考えも
>成り立つでしょうか?
 ジークリンデの旋律はどんどん上昇して、最後の歌詞「dem Schwert!」は♪ラ↓ソ↑ドー と終止しています。
 私的には、長い間離れ離れになっていた兄妹が再会した喜びと共に、「確固たる自信をもって宣言」したような感じを受けますが・・・。


54. ジュゼッペ・タッデイ(3/30) お部屋番  2003/03/31 (月) 01:06

 1997年に「NHKニューイヤーオペラコンサート」に80歳で出演し、2000年、2001年と名古屋でリサイタルを開いた『世紀の名バリトン』ジュゼッペ・タッデイ。
 僕は毎回、「これが最後の機会か?」と思って通っていますが、今回もまた「これが最後の機会か?」と思って (^_^ゞ、コンサートに行って来ました。

      ジュゼッペ・タッデイ・コンサート
     2003年3月30日(日)5:00PM
      愛知芸術劇場コンサートホール

 今日は快晴で、桜見物にドライブしたら渋滞に巻き込まれまして、会場に到着したのは6時半。
 開演後1時間半を過ぎており、聴けるのはアンコールだけかと覚悟しておりましたが、なんと! まだ第一部の途中でした (@o@) 。

 ジュゼッペ・タッデイは1916年生まれというから、マリア・カラスよりも年上。
 87歳かな? 米寿も間近でしょうか。
 ステージへの登場は女性歌手に支えられてで、椅子に座っての歌も多かったんですが、興が乗ると自由に動き、不自由さを感じさせません。
 声は、弱音のコントロールに少々難はありましたが、朗々と響く声で、年齢を抜きにして、実に立派なものです。

  第一部:《ドン・パスクァーレ》(ドニゼッティ)
      《ドン・ジョヴァンニ》(モーツアルト)
  第二部:《蝶々夫人》     (プッチーニ)
      《愛の妙薬》     (ドニゼッティ)

 一番素晴らしかったのは《蝶々夫人》第二幕。
 小さいテーブルと椅子を置いただけの舞台でしたが、蝶々さん(小林史子)、シャープレス(タッデイ)、ピアノ(マルコ・ボエーミ)、三者相俟っての迫真の場面に、いたく心を打たれました。
 特に、舞台中央の扉が開いて、蝶々さんの子供が飛び出してくる場面は衝撃的で、シャープレスの驚きが、そのまま伝わってきました。

 タッデイがその力を見せつけたのは、十八番の《愛の妙薬》。
 米寿のドン・ジョヴァンニは違和感があるけれど、いかさま師のドゥルカマーラは何歳でもいいでしょう (^_^) 。

 それから特筆しておきたいのが、ピアノのマルコ・ボエーミ。
 歌手は入れ替わりだけれど、彼は弾きっぱなしですからね。
 ボエーミは先日の《仮面舞踏会》の指揮者でもありますが、タッデイが怪しいところは、ピアノを弾きながら指示を出していました。


55. 大須オペラは《ユートピア‥‥》 お部屋番  2003/04/03 (木) 00:21

 2003年4月2日(水)6:30PM テレピア・ホール
 大須オペラで活躍されている、大脇薫さん、若井雄司さんのデュオ・リサイタルに行って参りました。
 幕間の情報収集によれば、大須オペラの演目はサリヴァンの《ユートピアなんとか (^_^;》になるようです。


56. Re: 大須オペラは《ユートピア‥‥》 お部屋番  2003/04/04 (金) 19:26

 パソコン通信で、LEUTNANT NIKI さんに教えていただきました。
 サリヴァンの作品は
   “Utopia Limited,or the Flowers of Progress”
    『ユートピア株式会社、または発展の花』

 ギルバートの台本で、1893年10月7日にサヴォイ劇場で初演された。
 南海の天国のような架空の島を舞台にして、相変わらずに皮肉を効かせたオペレッタ。
 だそうです。


57. ジークフリート(4/3) お部屋番  2003/04/05 (土) 11:42

 僕はワーグナー協会の会員だし、新国立劇場のジ・アトレ会員だし、ということで油断していたら、チケット争奪戦に乗り遅れ、一般発売でウィークデイの最後のチケットを手にすることが出来ました。
 仕事をサボって新宿・初台に遠征しましたが、木曜の午後4時に満席になっているオペラハウスというものは、なかなか異様なもでのありました (^_^;。
 東京は名古屋に較べ寒かったです。

 キース・ウォーナーの演出は、流行の「新奇な演出」と言ったらよいのでしょうか。
 最近はこんな演出が多くて、僕は何も感じなくなってしまいました。
 ジークフリートが名剣ノートゥンクで金床を真っ二つにする場面や、大蛇ファーフナーと戦う場面が見所かと思っていたのですが、期待外れでした。
 でも、第三幕はスケールが大きかったし、《ワルキューレ》ほどの嫌な印象は持ちませんでした。
 単に慣れてしまっただけでしょうか (^_^;?

 しかし、さすらい人(ヴォータン)が槍を持って出てきたのには驚きました。
 彼は前作《ワルキューレ》の最後で、槍をワルキューレ達に向かった投げつけたではありませんか。
 あれから拾いに行ったのでしょうか (^_^;?

 準・メルクルの指揮は《ワルキューレ》の時にも感じたのですが、拍子を振っているけれど、音楽を表現していない印象。
 昨年の東京シティの飯守泰次郎さんの方が、はるかに素晴らしい音楽だと僕には思われます。
 ということで、9月の東京シティ《神々の黄昏》が楽しみなんですが‥‥。

 話を戻しまして、歌手はそれぞれ良かったと思うけれど、中でも素晴らしかったのはミーメのジーゲル。
 ジークフリートのフランツは声量が少ないかと思ったところもありましたが、負担が大きい役柄なので、ときどき声をセーブするのは、いたしかたないでしょう。

 僕が一番楽しみにしていたのは、さすらい人のラジライネン。
 ヴィースバーデンのヘッセン州立劇場《さまよえるオランダ人》で、この人のオランダ人を聴いて、僕は痺れ上がってしまいました。
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/2000bach/20wiesopera.htm
 今回は、その時と較べると、ちょっと物足りない。
 劇場の違いでしょうか?

 フライングと全裸が話題の森の小鳥(菊池美奈)ですが、ありゃペンギンですか?
 どうせ脱ぐのならすぐ逃げずに、あそこで消防服に着替えたら、第三幕に続く、意味のある場面になったのではないでしょうか?


58. ユートピア国株式会社 お部屋番  2003/04/14 (月) 15:34

 4月13日(日)の読売新聞(中部版)に、スーパー一座の演出家で
ある岩田信市さん(67歳)が大きく取り上げられていました。

 旭丘高校美術科の三期生だそうで、同期に赤瀬川原平(作家)や荒川
修作(世界的な美術家で「養老天命反転地」が有名)がいるそうです。

 現在は七月の大須オペラ「ユートピア国株式会社」(サリバン作曲)
の稽古指導に励んでいるそうです。


59. 飛騨高山(4/13) お部屋番  2003/04/17 (木) 21:57


 高山祭を翌日に控えた4月13日、飛騨高山に行って来ました。
 詳細はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/takayama.htm
 を御覧ください。


60. 飛騨高山、行ったことあります。 岡田孝之(医師会オケTbn)  2003/04/19 (土) 17:37

 医師会オケ、岡田です。 僕も一昨年秋、家族で行きました。
 ワイドビューひだで行き、レンタカーを借りて市内を走りました。
 八幡宮、屋台会館、陣屋などひととおり行ってきました。
 古い町は、なんともいえない風情があって、よいですね。
 「城でもつ」の城しか観光名所がないどこかとは、大違いです。
 でも、高山に勤務したことがある知り合いに聞くと、冬は寒さと雪で大変なのだそうです。
 観光で行くのと、実際に住むのではずいぶん違うのでしょうね・・・。
 それと、観光で行っても、子供にはうけませんでした・・・。
 子供に一番受けたのは、リスがたくさんいるところ・・・名前なんでしたっけ・・・でした。
 やれやれ。


61. Re: 飛騨高山、行ったことあります。 お部屋番  2003/04/19 (土) 22:05

》高山に勤務したことがある知り合いに聞くと

 じつは僕は6年間、高山でお仕事をしておりました。
 お仕事半分、観光半分の充実した生活でしたね (^_^;。
 でも、高山城があるとは知りませんでした。
 初めて訪ねた城山公園は、市民憩いの場所でした。

 そうそう、せっかくの屋台が出るこの土・日ですが、全日本的に雨のようですね (>_<) 。
 僕も高遠城に夜桜の写真を撮りに行く計画でしたが、中止になってしまい、中日劇場のミュージカル《風と共に去りぬ》を見てきました。


62. 1500 お部屋番  2003/04/23 (水) 12:46

 カウンターが「1500」になりました。


63. 大須オペラの話題 楽々亭太丸  2003/04/30 (水) 00:02

 こちらには、はじめまして。 今後ともよろしくお願いします。
 さて、大須オペラ、今夏は久々のギルバート&サリヴァンものとあって、期待がつのるところです。
 以下は、ある種の「お願い」なのですが・・・

 ウェブ上で、おそらく最も充実したオペレッタのサイトはtsuzuさんによる下記のページと思われます。
 http://plaza19.mbn.or.jp/~tsuzu/
 掲示板も大変活発で、常にオペレッタに関する有益な情報がやりとりされています(掲示板は複数あります)。
 愚亭もよく出入りさせていただいています。

 実は、ここで、一昨年の「ブン大将」にtsuzuさんも行ってすっかりハマってしまわれたこともあって、よく大須オペラの話題が出ます。しかし、愚亭も、tsuzuさんも非名古屋人ですし、大須オペラ初心者です。  ちょっと込み入った話題になるとお手上げです。
 最近も、秩父「ミカド」にハマられた方が、今夏の大須遠征をお考えだという書き込みがありました。
 http://bbs1.parks.jp/11/cappy/bbs.cgi
 どうぞ、大須へ気の向いた遠来の方へ、適切な「大須オペラへのいざない」をお部屋番さまからもお願いします。


64. 弘前さくらまつり・白神山地・金木 お部屋番  2003/05/01 (木) 00:40

 4月27日〜29日まで、津軽旅行をしてきました。
 弘前公園はその広さ、桜の数の多さ、弘前城があること、そして津軽の人々がこよなく愛する岩木山(津軽富士)があることなど、「日本一の桜の名所」と言って間違いないでしょう。
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/hirosakisakura.htm

 そして、太宰治の生家(斜陽館)のある金木町。
 芦野公園は桜の名所としても知られています。
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/kanagi.htm

 最近の話題は、世界遺産に登録された白神山地。
 JR五能線には「リゾートしらかみ」が走っています。
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/sirakami.htm


65. Re: 大須オペラの話題 お部屋番  2003/05/01 (木) 00:44

 楽々亭太丸さん、ようこそ (^_^) 。
 今のところ、「ユートピア国株式会社」については、何の情報も持っておりません。
 応援する会の会報が来れば、いろいろ分かると思います。
 それから、情報を提供したいと思います。


66. 県庁めぐり・鳥取(5/3) お部屋番  2003/05/14 (水) 20:07

 画像は http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/tottori.htm

 県庁めぐり、今回は鳥取と松江です。
 9:51、京都発の特急「スーパーはくと(白兎)」に乗り、鳥取に向かいます。
 僕は当然山陰本線を通って鳥取に行くのだと思っていました。
 しかし、列車は東海道本線から山陽本線を通り、相生の西の「上郡」から智頭急行を北上しました。
 途中「大原駅」に停車しましたが、ここが宮本武蔵の故郷として売り出し中。
 「大原駅」の隣が、話題の「宮本武蔵駅」です。

 12:53、鳥取着。
 鳥取は長久手の戦いで死亡した池田恒興の子孫がお殿様。
 まずは久松山(きゅうしょうざん)にある鳥取城址へ。
 ふもとにある仁風閣は、当時皇太子だった大正天皇行幸のため、池田家によって建てられました。
 鳥取城址には立派な石垣が残っていました。

 鳥取城といえば思い出されるのが秀吉による、天正九年(1581年)の「鳥取の渇殺し」。
 鳥取城のお堀端には、城主であり切腹した吉川経家の銅像が建っていました。

 鳥取ではもう一つ、玄忠寺にある荒木又右衛門の墓に興味がありました。
 事の発端は、岡山藩主・池田忠雄の小姓(寵童)・渡辺源太夫が河合又五郎に突然に斬られた刃傷事件です。
 又五郎は岡山を離れ、江戸の旗本の安藤家に逃げ込みました。
 又五郎の身柄をめぐって、池田公と旗本との対立は深まる一方でした。
 源太夫の兄である渡辺数馬は仇を討つことになりましたが、剣に自信がなく、姉の夫である剣豪の荒木又右衛門(伊賀上野の生まれ)に助太刀を頼みました。
 この「伊賀越仇討」鍵屋ノ辻の仇討ちが成就するまでの間に、池田藩は鳥取にお国変えとなり、荒木又右衛門と渡辺数馬は鳥取に行って新藩主に報告。
 5年後に復職が叶いましたが、その復職のわずか16日後、寛永16年(1639年)8月28日、鳥取藩は荒木又右衛門の死亡を発表しました。
 なかなか不思議な話で、色々な憶測が飛んでいます。
 玄忠寺の境内にある遺品館には、彼が使用した鎖帷子や剣が展示されていました。


67. 月山富田城(5/4) お部屋番  2003/05/15 (木) 22:03

 画像は http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/gassan.htm

 8:06 鳥取発の特急「出雲」で、9:57 安来駅下車。
 目の前に停まっていた足立美術館行きのシャトルバス(無料)に乗り込みます。
 足立美術館の入場料は2200円と高いんですが、タクシーだと2000円以上かかるということで、シャトルバスで元は取れるかな‥‥と (^_^ゞ。

 足立美術館は地元出身の実業家・足立全康氏によって、昭和45年秋に建てられた美術館で、特に横山大観のコレクションが有名です。
 1万3千坪の日本庭園も有名です。
 一時間半はかかるという展示を30分で駆け抜けましたが、やはり横山大観は巨匠ですね。

 受付でタクシーを呼んでもらい、月山富田城に向かいました。
 山陰地方で有名なお殿様は、やはり尼子経久でしょう。
 その尼子氏の居城が、広瀬町にある月山富田城です。
 山腹の中山御殿址まで登って、タクシー代は1000円くらい。
 中山御殿址は広場となっており、石垣などの修復も行われ、史跡として整備されているようでした。
 月山頂上までは3〜40分とのことでしたが、とても登る元気はありません。
 この日はとても暑かった。

 尼子氏は全盛期には月山富田城を居城とし、出雲・隠岐・以下山陰・山陽八ケ国の守護に任ぜられました。
 しかし、晴久、義久と徐々に勢力が衰え、永禄9年には毛利元就の軍門に下りました。
 この後、尼子の遺臣山中鹿介らが尼子勝久を戴いて、尼子氏の再興を図りましたが、失敗に終わりました。
 城中太鼓壇に「山中鹿之介幸盛」の像が建っていました。
 「我に七難八苦を与え賜え」と三日月に祈った、彼の言葉は有名です。

 関ヶ原の合戦後、戦功のあった堀尾吉晴が入城しましたが、交通の便が悪いため、松江に城を移し、月山富田城は廃城となりました。
 ふもとの広瀬町歴史民俗資料館を見学し、一時間に1本のバスに乗り、安来駅に戻りました。


68. Re^2: 大須オペラの話題 真雪  2003/05/16 (金) 12:45

 こんにちは 大須オペラ楽しみですね。
 アマゾンにユートピアのCD注文しましたがダメでした。
 中古待ち受けもオーダーしましたがダメでした。
 そしたらこんなHPがありました。
 Gilbert and Sullivan Archive
 http://diamond.boisestate.edu/gas/#gas

 なんと代表的な曲が聴けちゃいます。「ユートピア」だけでも7、8曲位ありました。
 ピアノヴァージョン、フルオーケストラヴァージョン、両方揃っている曲もありました。
 MIDIですか? どういうファイル形式しか知りませんが。
 歌詞や内容も書いてありますよ。


69. Re^3: 大須オペラの話題 お部屋番  2003/05/16 (金) 22:49

 真雪 さん、こんばんは。

 これは驚きのHPですね (@o@) 。
 このHPもすごいと思うけれど、このHPを見つけだした真雪さんもすごいと思います。
 英語なんだもの (^_^ゞ。


70. Re^4: 大須オペラの話題 真雪  2003/05/17 (土) 14:15

 実は見つけたのはほんの偶然でした。
 日本の某ミステリー系HPでシャーロック・ホームズが「ミカド」のプーバー卿の台詞を引用したり、「軍艦ピナフォア」のキンポウゲのアリアを歌ったりする小説(ドイル作ではありません)が紹介されていました。
 そこに詳しく知りたい人はここへ、と出ていたのです。
 ミステリーファン恐るべし....ですね(^^;)。


71. 県庁めぐり・松江(5/4) お部屋番  2003/05/20 (火) 00:05

 画像は http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/matue.htm

 安来駅から山陰本線で松江に向かいます。
 山陰本線は列車数が少ないですね。

 松江市では、まず松江城。
 松江城は、山陰で唯一の天守閣が現存している城です。
 慶長5年、関ヶ原の戦功により堀尾吉晴は、出雲・隠岐24万石の太守となり、月山富田城に入城しました。
 しかし月山富田城は交通の便が悪く、城下町形成には土地が狭いことから、松江城築城となりました。
 以来堀尾三代、京極一代、その後寛永15年、福井城主松平秀康の四男直政が信濃松本より出雲一国186,600石を領して入封。
 以後、松平氏が10代続いて明治に至りました。
 7代藩主松平治郷が、茶道で有名な「不昧公」です。
 松江城は5層6階、高さ30メートルの天狗の間と呼ばれる天守閣からは松江の街が一望できます。

 天守閣を後にして山を降り、小泉八雲記念館に向かいます。
 途中の茶店に松江名物『ぼてぼて茶』がありました。。
 番茶に茶の花を混ぜ、茶せんでたてた後、赤飯や刻んだ季節の有り合わせの具を加えて飲むもので、お茶というよりお茶漬けに近いものでした。

 松江は宍道湖にも近く、市内は松江城を中心にお堀の川が流れる「水の都」として有名なところ。
 堀川めぐりの船が、次々と出ていました。

 小泉八雲の旧居はお堀に面した塩見縄手にあり、隣には小泉八雲記念館が建っていました。
 記念館には小泉八雲の直筆の文書や愛用していた生活用具などが展示されていました。
 八雲が松江で過ごしたのは1年余りに過ぎませんが、彼はこの街で小泉セツと結婚しています。

 そうこうしているうちに日没の時間が近づきました。
 嫁が島をバックにした宍道湖の夕日は、松江の代表的な景色として、どうしても写真に撮らなくてはなりません。
 タクシーで乗り付けますと、県立美術館前の海岸にはカメラマンが並んでいました。
 この日は曇り空で、最高のコンディションというわけには行きませんでしたが、まあまあの写真が撮れたでしょうか。


72. 《ユートピア国株式会社》の情報 お部屋番  2003/05/22 (木) 20:27

      大須オペラ《ユートピア国株式会社》

 夢の楽園、ユートピア国にやってきた五人のイギリス紳士−進歩の花形−によるユートピア国改造計画。そして、その先に生じたものは?
 笑いと風刺とイギリス風機知にあふれた、サヴォイオペラ十二番目の作品で、一八九三年の初演。

     ギルバート台本  A.サリバン作曲
       岩田信市 台本・演出
       宮脇 泰 編曲・指揮
       シアター管弦楽団 演奏

◆公演日程

 大須演芸場(名古屋) 平成15年7月14日(月)〜8月3日(日)
 碧南市芸術文化ホール 平成15年8月8日(金) 7時
 横浜にぎわい座    平成15年8月17日(日)12時/4時30分

◆お問い合わせ先

 ・大須演芸場公演(名古屋)052-262-5955(スーパー一座)
 ・碧南市芸術文化ホール 0566-48-3731
 ・横浜にぎわい座公演 045-262-1234(野毛地区町づくり会)
            052-362-5955(スーパー一座)
  (チケットはチケットぴあにても発売しています。)


73. Re: 《ユートピア国株式会社》情報 真雪  2003/05/22 (木) 23:12

 おお、名古屋以外でも上演ですか!
 私のトコにはまだ通信が届いておりません。
 東国の方々にもぜひみていただきたいものですね。
 ところで今日、東京で講習会があったので渋谷のタワーレコードに立ち寄ったら「ユートピア」のCDが2種類もならんでいました。
 アマゾンのネットワークより渋谷は濃いのでしょうかね。
 ついでに39年の映画版「ミカド」のDVDも買いました。
 いや凄い代物です。何処の国の話か全くわかりません。
 日本とアジア諸国と西洋中世がごちゃごちゃです。
 でももともと「ミカド」は多かれ少なかれこんなものだったんでしょうね。(リージョンフリーですからヤマギワあたりでも出ているかも知れません)


74. Re^2: 《ユートピア国株式会社》情報 楽々亭太丸 [URL]  2003/05/22 (木) 23:54

 お部屋番さん、真雪さん、いつもスーパー一座情報をいち早くありがとうございます。
 愚亭も、早速、広報にあいつとめていますが、早速、下記、掲示板で大須オペラ・スレッドが成長しつつあります。
 http://bbs1.parks.jp/11/cappy/bbs.cgi
 http://6620.teacup.com/washichi/bbs
 ちなみに、tsuzuさんは、非常に充実したオペレッタのページ(下記)を運営されている方です。
 http://plaza19.mbn.or.jp/~tsuzu/sub3.html

 そして、2001年夏の『ブン大将』に寄せられた文章は、おそらくウェブ上で読める大須オペラに関するもっとも本格的な評論と思われます。
 http://plaza19.mbn.or.jp/~tsuzu/operetta-bun.html

 また、今春、おこなわれた秩父ミカド東京公演のレポートもされています。
 http://plaza19.mbn.or.jp/~tsuzu/operetta-live.html

 一方、エルガー協会会員ナンキプーさんのHPは言うまでもなくエルガーの専門サイトですが、ギルバート&サリヴァンに関しても非常にお詳しく、日本最大の「ミカド」のページを公開されています。
 http://washichi.hp.infoseek.co.jp/composer/sallivan/mikadofront.htm

 ということで、この夏は、大須オペラの話題があちらこちらで盛り上がりそうです。
 ぜひぜひ、遠国の大須オペラファン、ギルバート&サリヴァンファンにも、地元名古屋から情報提供、ご指南たまわりますようよろしくお願いします。


75. Re^3: 《ユートピア国株式会社》情報 お部屋番  2003/05/23 (金) 00:15

 スーパー一座を応援する会の会員として (^_^) 、楽々亭さんの広報活動に心より御礼申し上げます <_._> 。
 今年最大の注目点は、何と言っても横浜公演ですね。
 「横浜にぎわい座」って、大須演芸場みたいな会場でしょうか?
 シアター管弦楽団を連れて行くなら、費用もかかりそうで、満員の盛況を祈らずにはいられません。
 せっかくの首都圏公演、「音楽の友」に写真付きで載ったりすると良いですね (^_^) 。


76. 県庁めぐり・出雲(5/5) お部屋番  2003/05/25 (日) 08:27

 画像は http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/izumo.htm

 「松江温泉駅」から一畑電鉄に乗り、宍道湖を左手に見ながら「出雲大社前駅」に到着。
 出雲大社の祭神は大国主命です。

 出雲大社の近くに、ガイドブックに出ていた「そば処・八雲」があったので、ガイドブックに出ていた (^_^ゞ「三色割子」を注文。
 これは美味しかったですね。

 食後、500メートルほど歩き、「出雲の阿国の墓」。
 阿国は引退後に出雲に戻り、安養寺の庵で智月尼を名乗って晩年を送ったと伝えられています。
 墓の回りには「歌舞伎発祥四百年」の旗が立っていました。

 阿国の墓を過ぎると、右手に奉納山公園があります。
 山を登ると「於国塔」が建っていました。
 これは新しい塔で、回りを歌舞伎役者の名前が書かれた柱で囲まれていました。

 この塔から「稲佐の浜」が見渡せました。
 出雲の国を治めていた大国主命が、天照大神の使いでやってきた神を稲佐の浜に迎え、国土統一のために国譲りを決定したという伝説の浜です。

 ここから一時間に1本のバスに乗り、日御碕に向かいます。
 かなり時間も迫っており、このバスの折り返しで出雲市に戻らなくてはなりません。
 日御碕で与えられた時間は30分。

 日御碕は灯台が有名ですが、これが遠くて、なかなか見えないんです。
 なんとか高台の国民宿舎から写真だけ撮って、走ってバスに戻ります。
 我ながら全く余裕のない旅です (^_^;。

 折り返しのバスでJR出雲市駅に戻り、JRで宍道湖を左手に見ながら松江まで戻ります。
 宍道湖ごしに見える松江の街は、水の上に浮かんでいるようで、なかなかの景観でした。


77. Re: 県庁めぐり・出雲(5/5) 真雪  2003/05/28 (水) 19:08

 私も松江と出雲大社、神戸勤務時代に行きました。
 出雲大社ではお参りしたとたんに目の前に鳩が落ちてきて死ぬ、という目に遭いました。
 縁結びの願いは叶わぬのだな、と悟りましたな。
 松江は...何で行ったかというと...NHKの「日本の面影」というラフカディオ・ハーンのドラマをみてジョージ・チャキリスにのぼせていたからです。美しい街でした。

 ところでスーパー一座からの通信はそちらに届いておられますか?
 私の所はまだなのですが、そろそろ焦りを感じております。


78. Re^2: 県庁めぐり・出雲(5/5) お部屋番  2003/05/28 (水) 20:38

 僕は「罰当たり」にならないため、神社やお寺ではお賽銭とお願いを欠かさないようにしているんですが、最近はお願いすることが多くて、時間がかかってしまいます (^_^;。

> ところでスーパー一座からの通信はそちらに届いておられますか?

 まだです。 僕も楽しみにしているのですが‥‥。


79. はじめまして Britchov  2003/06/01 (日) 00:19

 松江在住のぶりちょふと申します。
 楽々亭太丸さんのご紹介で、少し前にHPを覗いていたのですが、BBSに気づかずにご挨拶が遅くなりました。
 ちなみにGWは妻子の住む名古屋に行っておりましたが、また起こしになることがあれば車でご案内させていただきたく存じます。

 さて6月に入り、いよいよ大須オペラの前売りが近づいてきました。
 私は7月の3連休に妻子に会いにという名目で?大須に参ります。
 19日の昼の部を狙っております。よろしかったら御目文字いただければと思います。

 http://bbs1.parks.jp/11/cappy/bbs.cgi?Page=1でオペレッタのBBSをtsuzuさんと共同運営しております。お暇な折にお立ち寄りください。

 ちなみにドレスデンでP.コンビチュニー演出の「仮面舞踏会」を昨年末に見てきたのですが、貴HPの感想と殆ど同じで笑ってしまいました(爆。BBSの何ページか後ろのほうに感想をカキコしております。

 それではまた、よろしくお願いいたします。


80. タンクレディ・びわ湖ホール(6/1) お部屋番  2003/06/01 (日) 23:18

 2時過ぎに大津駅に着いたところ、駅前にはタクシー待ちの長い列が出来ていました (@o@) 。
 路線バスは2時35分発しかなく、シャトルバスを出していただきたいところです。
 びわ湖ホールはロビーから琵琶湖を目の前に望む、世界で一番美しいオペラハウスだと僕は思っています。
 本日は曇り空でしたが、それでも波立つ琵琶湖は雄大で美しかったですね。

     ジョゼッペ・ヴェルディ歌劇場 トリエステオペラ
        ロッシーニ作曲《タンクレディ》
    2003年6月1日(日)15:00開演 びわ湖ホール

 僕はロッシーニのオペラは《セヴィリアの理髪師》しか見たことがありません。
 日本初演の《タンクレディ》を見るのは、もちろん初めてなんですが、最近は予習するのも面倒になって、ぶっつけ本番の観劇です。
 最初は舞台上の人物が誰だか分からなくて、困りました。
 《タンクレディ》はロッシーニ21歳の時に作曲されました。
 《セヴィリアの理髪師》は24歳の作品です。

 ビザンツ帝国とサラセン帝国の時代、1000年ころのシチリア島シラクサ。
 実力者の一人アルジーリオはオルバッツァーノとの和解のため、娘のアメナイーデを彼と結婚させようとする。
 しかし彼女には恋人タンクレディがいた。
 なんだか、昨日の演目《ランメルムーアのルチア》みたいなお話ですね。
 アメナイーデがタンクレディに出した手紙が誤解を生み、彼女は裏切り者として処刑されることになる。
 そこへ彼女のために戦う騎士として現れたのがタンクレディ。
 彼はオルバッツァーノを打ち負かす。
 ということで、《ローエングリン》のようなお話になってきました。
 ここからが長くて、自分の無実を訴えるアメナイーデと、それを信じないタンクレディの歌が何度も繰り返されて、まあ、タンクレディも男らしくないやつだと、いささか疲れました。

 ストーリーはさておき、ロッシーニの音楽は生き生きとして魅力的なもの。
 話題のズボン役バルチェッローナを始めとするキャストは、コロコロ動く難しそうな音楽を歌い上げ、なかなかの出来かと思いました。
 装置は大規模なもので、具象的な部分も抽象的な部分もありました。
 演出は常識的なもので、まあ可もなし不可もなし。
 オーケストラは、あまりレベルが高いとは思えませんでした。


81. Re: はじめまして お部屋番  2003/06/02 (月) 00:09

 ぶりちょふさん、はじめまして。
 GWは名古屋と松江、入れ違いでしたか (^_^ゞ。

 土曜日は突然会議が入ったりするんですが、19日は今のところは空いています。
 その頃メールをいただけますでしょうか。
 アドレスは KFD00727@nifty.ne.jp です。

 楽々亭さんのHPを見たら、大須オペラの日程表まで出ていました。
 応援する会会員の僕には何の連絡もないのに (^_^;。

 ペーター・コンヴィチュニーとかギュンター・クレーマーは嫌いです。
 このような独りよがり(と僕には思える)演出家が人気演出家となるドイツオペラの潮流は間違っていると思います。
 でも、二期会の《ばらの騎士》(クレーマー演出)には心が揺れましたけどね (^_^ゞ。


82. 2200番 お部屋番  2003/06/02 (月) 12:54

 カウンターが2200番になりました。


83. ユートピア国株式会社・予告 お部屋番  2003/06/03 (火) 21:13

 「スーパー一座を応援する会」の会報「ロック歌舞伎通信」が、やっと送られてきました。
 名古屋の夏の風物詩「大須オペラ」、今年の演目はギルバート&サリバンのオペレッタ《ユートピア国株式会社 = または進歩の花形》。
 「大須演芸場」の公演は7月14日(月)〜8月3日(日)で、チケット代は前売り3800円。

 今年は「横浜にぎわい座」(桜木町駅すぐ)公演もあって、8月17日(日)12時/4時30分 。
 会報には「東京・横浜のお知り合いの方々にも御推薦、よろしくお願いします」と書かれているので、応援する会会員の僕としては、大いに宣伝させていただきたいと思います。

 未開のユートピア国が国の発展のために資本主義を取り入れて、国を株式会社にする、というお話。
 いろいろな登場人物がバラバラに出てくる、とてもやりにくい作品。
 カップルは、王様と家庭教師、姫と軍人、双子とイギリス紳士、の4組。
 キャストでは野口登志さんが、生活のために休演されるとのことで、ショックですが‥‥。

 ザラ姫:大脇 薫/イギリスへ留学して、新しい空気を持ち帰る。
 イギリス軍人:若井雄司/ザラ姫の警護役、恋人。
 三馬鹿大臣:間瀬礼章、水谷真人、原 智彦。
 ユートピア国王:羽田野泰弘
 双子のはねっかり娘:杉山佳重、高木和子
 (ダブルキャスト) 斉藤美七海、水谷初美
 双子の家庭教師::寺本久美子


84. ポッセンホーフェン 牧野宣彦  2003/06/07 (土) 10:16

 インターネットでエリザベート皇妃の記事楽しく拝見させていただきました。
 すみませんが、エリザベートが少女時代を過ごしたポッセンホーフェンにはどうやって行けばよいのでしょうか。
 御教示願えれば幸いです.どうか宜しくお願いします。


85. Re: ポッセンホーフェン お部屋番  2003/06/07 (土) 13:07

> エリザベートが少女時代を過ごした
> ポッセンホーフェンにはどうやって行けばよいのでしょうか。

 牧野宣彦さん、僕はこのような質問をお待ちしておりました (^_^) 。
 船で行く方法については、《ルートヴィヒ紀行》に書かせていただきました。
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/2001ludwig/13berg.htm
 からお読みいただけば、だいたい分かると思います。
 ただし、船の本数は少なかったです。

 ミュンヘンからトッツィング行きのSバーンに乗って、ポッセンホーフェン駅で降りる方法もありますが、こちらは経験がないので‥‥。
 でも、湖の方向に降りていけば、大丈夫だと思います。


86. 不変の愛・オベロン(6/7) お部屋番  2003/06/08 (日) 22:17

 名古屋のオーケストラでは、公演にサブタイトルを付けるのが流行みたいですが、それにしても「不変の愛」はひどい。
 僕は最近まで、これが《オベロン》の上演だと気付きませんでしたよ (^_^;。

    セントラル愛知交響楽団第62回定期演奏会
   不変の愛 ウェーバー作曲 歌劇《オベロン》全3幕
 2003年6月7日(土)6PM 愛知芸術劇場コンサートホール
      指揮:松尾葉子  演出:斎藤敏明
 
 松尾葉子&セントラル愛知のコンビでは、《ティレジアスの乳房》に次ぐ、第2回目のオペラ上演になるでしょうか。
 舞台の右側にナレーターが3人、舞台中央奥では衣装を付けた役者が演技をして、指揮者の隣でタキシード・イブニングドレスの歌手が譜面を手にして原語で歌う。
 これは手順が3度ある感じで、成功したアイディアとは言えないでしょう。
 少なくとも、奥の役者は不必要だと思いました。

 オベロンはシェークスピアの《真夏の夜の夢》で有名な妖精の王ですが、このオペラはヴィーラントの叙事詩に基づいたもの。
 ストーリーも音楽も、残念ながら僕にはよく分かりませんでした。

 ウェーバーは《オベロン》初演のため訪れたロンドンで客死しました。
 ロンドンの墓はその後ワーグナーの計らいでドレスデンに移されました。

 お墓と家(ウェーバー記念館)は
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/2000bach/06lohengrin.htm

 ついでに、彼の生まれた家は
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/1999gwdoitu/06eutin.htm


87. 欲望という名の電車(6/11) お部屋番  2003/06/13 (金) 14:43

 東京室内歌劇場の演目には魅力的なものが多いのですが、とりわけ今回の《欲望という名の電車》には驚きました。
 アンドレ・プレヴィン1998年の新作が、こんなに早く日本で見ることが出来るとは (@o@) 。
 地方在住の身としまして、ウィークデイはちょっと辛いんですが、これを見逃すことは出来ません。
 問い合わせたところ「終演は9時半」ということで、夜行バス帰りを覚悟で東京に向かいました。

 ブランチは妹ステラのもとに滞在するため、ニューオーリンズにやって来た。
 かつては豊かな暮らしをしていた二人。
 ブランチはステラの貧しい暮らしを咎める。
 しかし、ステラの夫スタンリーによって、ブランチの惨めな境遇が徐々に明らかにされ、そして‥‥。

 まずはサスペンスドラマ風のストーリーが素晴らしい。
 心理サスペンスというんでしょうか。
 このオペラはテネシー・ウィリアムズの原作に忠実に脚本化されたのでしょうか?
 プレヴィンの音楽は、現代音楽風の部分とメロディックな部分が適度にブレンドされた、聴きやすいもの。
 現代オペラなのに拍手が出きるアリアがあったのには、驚きました。

 ブランチ役の松本美和子さんは、大きい劇場で聴くと声量不足を感じたこともあったんですが、落魄し、男に捨てられ、レイプされ、気がふれていくオールドミスには、全くの適役でした。
 その他のキャストも素晴らしかったですね。
 若杉弘さん指揮する東京交響楽団の演奏は一分の隙もないもの。
 回り舞台を効果的に使った鵜山さんの演出は、隅々まで目の届いたもの。

 これは、ストーリー、音楽、キャスト、指揮、演出、そのすべてが本当に素晴らしい公演でした。
 今のところ、今年のベストワンですね。
 もし東京に住んでいたら、当然ダブルキャストを見てみたいところです。
 こんな公演を見てしまうと、「やはり新幹線代2万円を費やしても、チャンスを逃がしてはいけない」と、つくづく思ってしまいます。
 11時20分の夜行バスに乗り、5時半に自宅に到着しました。


88. 2500番 お部屋番  2003/06/13 (金) 18:32

 カウンターが2500番になりました。


89. 加納・岐阜市(5/25) お部屋番  2003/06/16 (月) 00:39

 徳川家康と正室・築山御前の間には、信康と亀姫の二人の子供がいました。
 僕は浜松にある築山御前のお墓と、天竜二俣にある信康のお墓は訪れたことがあるので、今回は亀姫のお墓を訪ねて、岐阜市・加納に行ってきました。
 画像は
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/minokanou/kanou.htm

 加納は岐阜駅の南側に当たります。
 江戸時代の加納は城下町でしたが、加納城址には本丸の石垣が残り、中は広いグラウンドのような加納公園になっていました。
 加納はまた中山道の宿場町としても発展し、皇女和宮も本陣に宿泊しました。
 
 加納城の初代城主は奥平信昌でした。
 天正3年(1575)長篠の戦いで、長篠城主として城を守った奥平貞昌は、信長から一字をもらい信昌と改名し、家康の長女亀姫をめとり、4男1女をもうけました。
 新城(しんしろ)城主となった信昌は、天正18年(1590)家康の関東入国と同時に上州宮崎(群馬県富岡市)に移り、その後初代京都所司代となり、慶長6年(1601)岐阜加納十万石の大名となりました。
 加納では、城下の整備や治山治水事業につとめ、元和元年(1615)61歳で死去しました。
 亀姫は、寛永2年(1625)5月27日、66歳で加納において死去しました。

 夫妻のお墓がある盛徳寺は、加納城の近くにありました。
 門扉が閉まっていましたが、押したら開きましたので、入ってみました。
 夫妻の墓所は塀で囲われており、入口に柵が立っていました。
 外から覗いたところ、円墳式の二つの墓が見えました。
 右が信昌、左が亀姫のお墓なんだそうです。

 インターネットで調べていたら、近くに十二相神(亀姫侍女)なる建物(?)があり、「嫉妬に狂った亀姫に殺された侍女12名の霊を慰めるために建立されました。亀姫は夫奥平信昌に生涯側室をおかせませんでした」と書かれていました。
 いかにも築山御前の娘らしいお話ですが、「信昌も長篠の戦いのおかげで大変な人生を送ったんだな」と、いささか同情しました。


91. 上有知(こうずち)・美濃市(6/8) お部屋番  2003/06/16 (月) 21:59

◇上有知(こうずち)・美濃市(6/8)
 画像は
http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/minokanou/kouzuti.htm

 飛騨高山のお殿様だった金森長近(78歳)は、関ヶ原の戦いの後、戦功として徳川家康から武儀郡(約一万二千石)と河内国金田三千石を拝領しました。
 長近は上有知を所有すると尾崎丸山の地に新城を築きました。
 これが小倉山城です。
 長近は越前大野や高山の町造りの経験を生かして、城下町の町割をしました。
 長近はまた地場産業の発展にも努力して紙市・桑市の繁昌など城下町の発展とともに経済の繁栄策にも意を注ぎました。
 集まった美濃和紙などの物資は長良川に面した上有知湊から船で岐阜・桑名などへと運ばれ、町には次第に和紙問屋やいろいろな商売を営むものが増え、商家町として栄えました。

 晩年、八十近い長近に男子が生まれました。
 本領の飛騨は、既に養子である可重(ありしげ)が統治しており、長光と名づけられたこの男子は上有知を相続することとなりました。
 しかし、長光は五歳で死亡し、幕府は所領を金森家から没収してしまいました。
 一方の飛騨金森家は、6代頼時(よりとき)の時、出羽上ノ山に転封となってしまいます。
 そして、その5年後には、また郡上八幡に転封の命令が下りました。

 上有知は明治44年(1911年)、美濃紙にちなんで「美濃町」と改名し、その後美濃市となりました。
 美濃市は現在「うだつの上がる町」として売り出し中です。
「うだつ」とは、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁のことで、美濃市には日本で最も多くこの「うだつ」が残っています。
 裕福な家しか「うだつ」を造ることができなかったため、庶民の願望から「うだつを上げる・うだつが上がらない」の言葉もできました。
 と言われてもイメージの湧かない方もおられるでしょう。
 そういう方は、もう一度、こちらを御覧下さい。
http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/minokanou/kouzuti.htm

 旧今井家住宅が公開されており、往時の繁栄を今もとどめています。
 庭には水琴窟があり、繊細な音を奏でていました。


92. Re: 欲望という名の電車(6/11) 真雪  2003/06/17 (火) 15:15

 タワーレコードにCDが山積みだったのは公演があったからなんでしょうか。
 公演観たかったです...。
プレヴィン作曲のミュージカル「いつも上天気」のビデオは繰り返し、みております。
 この人の曲、素敵ですよね。
 しかし...土曜日はそのままお仕事されたのですか?


93. Re^2: 欲望という名の電車(6/11) お部屋番  2003/06/17 (火) 23:47

> タワーレコードにCDが山積みだったのは

 ほほう、CDが出ているんですか。
 僕なんかプレヴィンと聞くと、映画の「マイ・フェア・レディ」(アカデミー音楽賞を取ったはず)なんかが出てくるんですが、今や世界のマエストロで、奥さんはゾフィー・ムッターですからね。

> しかし...土曜日はそのままお仕事されたのですか?

 えー、翌日は木曜日なんですが‥‥ (^_^ゞ。
 夜行バスは星ヶ丘で停まりまして、そこにはタクシーが客待ちをしています。
 タクシーの中では、目の回りだけ覚醒しまして、頭全体は眠ったままにしておくんです。
 そして、家に着いたら目を閉じれば、もう一度眠れるんですね。
 仕事がら身に付いたノウハウです (^_^ゞ。


94. 郡上八幡(6/8) お部屋番  2003/06/18 (水) 22:05

 郡上八幡は、高山のお殿様だった金森氏終焉の地です。
 画像は
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/minokanou/hatiman.htm

 上有知(こうずち)金森家は二代目で領地没収となりました。
 一方の飛騨金森家は、6代頼時(よりとき)の時、出羽上ノ山に転封となってしまいます。
 そして、その5年後には、また郡上八幡に転封の命令が下りました。

 7代頼錦(よりかね)は、幕府の奏者役に任じられました。
 奏者役は朝廷と幕府の接待を勤める役職で大抜擢でしたが、たいへん金がかり、無理な年貢の取り立てをおこなったため、世に有名な宝暦郡上騒動を引き起こしました。
 この責任を問われ金森家は領地没収改易となり、こうして金森氏は6代で終焉をむかえました。

 現在の郡上八幡城は昭和8年に再建されたものだそうです。
 お城の登り口に「山内一豊と妻の像」が建っていました (@o@) 。
 不思議だったんですが、内助の功で有名な山内一豊の妻「千代」は、初代八幡城主、遠藤盛数公の娘とする説があるんだそうです。

 「郡上八幡博覧館」では、郡上八幡の歴史と郡上踊りの展示がされていました。
 この町は、かなり古い歴史を持った町のようです。

「宗祇水」は昭和60年に、環境庁の「名水百選」に選ばれました。
 室町時代(文明年間)に飯尾宗祇はこの地に在住し、時の領主東常縁から古今伝授の故事を伝えられたそうです。
 ちょっと飲んでみましたが、甘い口触りの水でした。

 吉田川は長良川の支流で、八幡町の町の中央を流れています。。
 この吉田川にかかる新橋から、吉田川に飛び込むイベントは有名です。
 この日に鮎漁が解禁されたそうで、多くの釣り人が出ていました。

 郡上八幡樂藝館(らくげいかん・旧林療院)は、明治37年に個人の医療施設として 建てられたものです。
 内部は診察室や、県下で初めてといわれるレントゲン装置が公開されていました。


95. ノルマ(6/24) お部屋番  2003/06/25 (水) 17:12

 ベルカント・オペラの代表作とされる《ノルマ》ですが、実際に観劇するのは今回が初めてです。
 昔々、NHKが招聘した「イタリア歌劇団」でテレビ放映がありましたか?

        カターニア・ベッリーニ大劇場
       ベッリーニ作曲 《ノルマ》全2幕
     2003年6月24日(火)6:45PM
         愛知芸術劇場大ホール

 指揮:ジュリアーノ・カレッラ  演出:レンツォ・ジャッキエーリ

       ノルマ:ディミトラ・テオドッシュウ
    アダルジーザ:ニディア・パラチオス
     ポリオーネ:カルロ・ヴェントレ

 紀元前50年頃。ローマ共和制の末期。ガリア地方。
 ドルイド教の巫女ノルマは敵将ポリオーネと密かに愛し合い、二人の子供がいる。
 しかし、ポリオーネの愛は若いアダルジーザに移り‥‥。

 象徴的なオブジェがおかれた舞台装置、整列して歌うコーラス、歌い終わると舞台横に出ていく歌手。
 この時点で演出に対する期待はなくなりました。
 ベルリー二の音楽としては、第一幕第二場の三角関係の場面が良かったですね。

 ノルマはもう少しドラマチックな方が良いでしょうか。
 嫉妬に狂って怒っても、あまり怖くないというか‥‥ (^_^;。
 アダルジーザはとても良かったですね。
 ポリオーネは力不足かと思いました。

 20分の休憩を挟んで全二幕。
 終演は10時近くでした。


96. あじさい紀行/本光寺・形原温泉 お部屋番  2003/06/26 (木) 00:55

 蒲郡近くの「あじさい」の名所に行って来ました。

 まずは幸田町の「本光寺」。   http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/ajisai/honkouji.htm

 JR東海道線「三ヶ根駅」から徒歩10分くらい。
 見頃とあって、たくさんの人で混雑していました。。

 本光寺は徳川家を支えた深溝(ふこうず)松平氏の菩提寺です。
 「深溝」はこのあたりの地名です。
 家康から遡ること六代前の松平信光からは七つの家系が分かれておりまして、家康は二男親忠、深溝松平氏は五男忠景の子孫に当たるようです。

 「西御廟所」には初代忠定、二代好景、三代伊忠(これただ)、四代家忠の墓がありました。
 好景は永禄4年(1561)吉良義昭と戦い討死。
 伊忠は天正3年(1575)長篠・鳶ヶ巣山の戦いにて戦死。
 家忠は弘治元年(1555)〜慶長5年(1600)伏見城の戦いで戦死。
 代々の当主が戦死しているという、なかなか凄い家系です。

 階段を上った「東御廟所」には、その後の歴代藩主の墓が整然と並んでいました。
 深溝松平氏は肥後島原七万国の城主となりましたが、藩主が死ぬと島原の本光寺で戒名を受けた後、船で蒲郡まで運ばれ、行列を整え東御廟所に入ったということです。
 魚の鱗状に敷き詰められた石は「小判石」と呼ばれ、深溝松平家ゆかりの保母町、小美町の乙川で採られたものということです。

 本光寺には「願かけ亀」なる石の亀がありまして、カメのエリ首に賽銭が入ると願いが叶うと言われています。
 さっそく投げてみましたが、上手く入りません。
 「これでは不幸になってしまう!」と焦りまして、3回目にやっと背中に乗せることが出来ました。
 しかし「御利益3分の1か」と考えると、あまり幸せな気持ちにはなれませんでしたね。

 続きまして、形原温泉・あじさいの里。 http://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/ajisai/katahara.htm

 「三ヶ根駅」から「あじさい号」なる臨時バスが出ていますが、さすがシーズンだけあって、道路が大渋滞。
 普段10分のところが1時間以上かかってしまいました。

 毎年6月1日より30日までの1ヶ月間は「あじさい祭り」で、10万人の来訪者があるとか。
 「補陀ヶ池」の堤防を中心として、植裁された5万本のあじさいが咲き乱れ、さすがの眺めでした。
 近くのホテルで、TV放映されたという「あじさい定食」を食べましたが、まあお勧めできますね。


97 3000番 お部屋番  2003/07/04 (金) 20:44

 カウンターが3000番を超えました。


98. 関市・その1(7/6) お部屋番  2003/07/07 (月) 23:05

 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/minokanou/seki.htmです。

 加納(岐阜市)、上有知(美濃市)、郡上八幡と回れば、岐阜市と美濃市の間にある関市には、どうしても行っておきたいところです。
 折しも、関市にある岐阜県博物館で「美濃源氏土岐一族の世界」という展示が開かれているというチャンスに恵まれ、関市に行って来ました。

 明治4年に岐阜県が設置されてから昭和46年11月でちょうど100年目を迎えるにあたり、百年公園と博物館が建設されました。
 この博物館は実に巨大でありまして、恐竜や岩石などの展示がされていますが、印象としてはバブリー。
 多分赤字だと思うし、遠足の生徒でも来なければ、職員は退屈でたまらないでしょう。

 「美濃源氏土岐一族の世界」はその一角で展示がされていました。
 主催は「美濃源氏フォーラム」という団体ですが、これは大変に充実した展示でした。
 土岐氏は鎌倉時代から南北朝時代、室町時代に、美濃を中心に活躍し、「土岐絶えなば足利絶ゆべし」と言われる程の勢力を持っていました。
 家系図を見ると100人くらいの名前が書かれていて、誰が誰だか分からないんですが (^_^ゞ、最後は斎藤道三に国を盗られてしまったようです。

◇関鍛冶伝承館
 刃物の町・関を代表する施設で、刀鍛冶の歴史、匠の技の解説とビデオ、そして関の孫六(兼元)を始めとする名人の名刀が展示されています。

◇吉田観音(きったかんのん)/新長谷寺(しんちょうこくじ)。
 鎌倉時代に創建された寺で、以後、時の権力者に保護されてきました。
 国重文の十一面観音や本堂、阿弥陀堂、三重塔など文化財の宝庫で、「美濃の法隆寺」とも呼ばれています。
 山門を入ったところでお坊さんが出てきまして、寺内撮影禁止なんだそうです。
 このあたり、禅宗は厳しいようです。
 隣にある曼荼羅(まんだら)庭園は撮影可。
 三重塔を背景にした芸術写真 (^_^ゞを撮ってきました。


99. 関市・その2(7/6) お部屋番  2003/07/07 (月) 23:12

 画像はhttp://homepage2.nifty.com/mnakash/sonota/monooki/minokanou/seki.htmです。

◇関善光寺(宗休寺(そうきゅうじ)
 本堂に「日本唯一の卍形をした戒壇(かいだん)巡り」と書かれていたので、入ってみました。
 しかし、地下へ入ると真っ暗で何も見えません。
 僕は閉所恐怖症なので、すぐに逃げ出しました。
 入口のお坊さんに「暗いところは苦手で‥‥」と言ったら、「戒壇巡りは暗いものなんです」と言われました(以下参照)。
 お坊さんもあまりの無知さにビックリしたでしょうが、それでも入場料の200円を返してくれました (^_^;。

※戒壇めぐり
 本堂地下は真(まこと)の闇で、この暗黒の世界を静かに進みゆくことにより、これまでの自分自身を省みて、積み重ねた罪障を取り除くための精神修養の道場であります。
 本堂の本尊下にある真っ暗な通路を手探りでたどり、本尊真下にある「極楽のお錠前」と呼ばれる鍵に触れることで本尊との仏縁が深まり、極楽往生が約束されます。

◇円空の墓
 円空は美濃に生まれ、全国を巡り歩き、美濃で生涯を閉じました。
 生誕の地といわれる羽島市の中観音堂は、母の鎮魂を願って造像した十一面観音立像を祀るため、円空自身が建立したといわれています。
 晩年、円空は関市池尻に弥勒寺を再興し、この寺の住職として定住しました。
 弥勒寺跡の裏山に「円空の墓」がひっそりと建っていました。

◇関市円空館
 「円空の墓」の近くに「関市円空館」があるというパンフレットを見つけたので、行ってみました。
 そうしたら、まだ開館準備中なんだそうです (@o@) 。
 内部は見せていただけましたが、台はあっても仏像が無いんですよね。

◇円空入定塚
 元禄8年7月13日、円空(64歳)は弥勒寺近くの長良川河畔に穴を掘り、多くの村人が悲しんで見守る中、念仏を唱えつつ土に埋もれ、入定(にゅうじょう)を果たしました。
 この「円空入定塚」は藤棚の下にあるのですが、彼は「藤が咲く間は、この土中に生きていると思ってほしい」と言い残して世を去ったということです。

◇小瀬鵜飼
 「円空入定塚」から長良川に出ると、鮎之瀬橋の下には、小瀬鵜飼の屋形船が並んでいました。
 一千年の歴史を持つと言われる小瀬鵜飼は、岐阜、犬山の鵜飼と並んで有名で、毎年5月11日〜10月15日の間、毎晩行われています。


100. 最近カウンターが‥‥エリザベート? お部屋番  2003/07/09 (水) 00:08

 最近、カウンターの数字の伸びが早くて、ちょっと不思議でした。
 今日気が付いたんですが、 Yahoo! の検索で「ウィーン、ミュージカル、エリザベート」のキーワードで検索すると、「エリザベート観劇記」が2番目にヒットするようになったんですね。
 そのためでしょうか?
 http://homepage2.nifty.com/mnakash/elisa/eli001.htm

 ウィーン版《エリザベート》は大好きだし、気合いを入れて書いた観劇記ですから、皆さまに読んでいただければ幸いです。
 これからウィーンでの再演に出かけられる方の、お役に立てるレポートだと確信しております (^_^) 。
 
 
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