音楽史跡とオペラの旅 掲示板 501−550 |
501. Re: opera お部屋番・いんぜる 2004/11/19 (金) 21:48
viaggio さん、いらっしゃいませ。 僕はモーツアルトのオペラは好みに合わないんですが、《コシ・ファン・トゥッテ》は大好きです。 恋人の取り替えごっこが深刻な状態に落ち込んでいく人間心理の描写が素晴らしいと思っています。 イタリアのオペラハウスではスカラ座に行ったことがあります。 ここは係員まで威張っていて、ロビーで記念写真を撮った女性2人組が、怒られて泣いていました。 《ナブッコ》の指揮をしたムーティーもふんぞり返って、スカラ座は嫌いです。 ドイツ、オーストリアの音楽史跡探訪が終わったら、次はイタリアに行けるといいなと思っています。 502. オペラ viaggio 2004/11/19 (金) 23:18 今月28日東京へ行くんですが何か良いオペラかミユ―ジカルやつてないでしょうか。 4月にウイーンでエリザべート見ました。 テンジヨウ桟敷しかなくてとても疲れましたがコシファンツウチよりわかりやすく楽しめました。 日本で見てから外国で楽しむと良いですね。迫力がぜんぜん違いますね。 503. Re: オペラ お部屋番・いんぜる 2004/11/19 (金) 23:54 オペラ公演については「国内オペラ公演情報」が役に立つでしょう。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~arepo/rasing.htm ウィーンの《エリザベート》は素晴らしいですね (^_^)。 演出家クプファーの最高傑作だと思っています。 http://www.nakash.jp/opera/elisa/eli001.htm しかし、小池修一郎改竄による日本版は見るに耐えません。 偽物を見せられる日本のファンが気の毒だと思っています。 504. 椿姫 viaggio 2004/11/21 (日) 00:56 オペラ初心者としては椿姫がよいのではと思っています。有り難うございました。 市民オペラなど色々楽しみ方があるんですね。新しい世界が広がったようで感激です。 《コシ・ファン・トゥッテ》てよく上演されているんですね。 ひたすら睡魔との戦いの3時間でした。イタリア語はまったく理解出来ずとても残念でした。 507. 田村麻子&笛田博昭(11/20) お部屋番・いんぜる 2004/11/21 (日) 20:50 11月20日(土)1時30分 愛知芸術劇場コンサートホール 愛知県文化振興事業団の「オペラ・フォーエヴァー」シリーズ、第3回は「オペラの新星発見」ということで、田村麻子(ソプラノ)、手嶋眞佐子(メゾソプラノ)、笛田博昭(テノール)、呉承容(おう・すんにょん・バリトン)の4人によるコンサート。 ピアノ伴奏と司会は江澤隆行さんでした。 圧倒的に完成度が高かったのが田村麻子さん。 ルチア『あたりは沈黙に閉ざされ』、ジルダ『毎日曜日教会で』、そして《ミニョン》の「私がティターニア」。 いずれも、演技、表情がオペラになっていて、コロラトゥーラのテクニックも文句なし。 すでにハンガリー国立歌劇場でルチアを歌われているそうです。 この人は面白い人で、江澤さんのインタビューが終わったところで、突然「江澤さんは以前は大人しい性格だったのに、フランスに行ったらこんなに上手に司会が出来るようになって驚きました」などと発言して、江澤さんの動揺と会場の笑いを取っていました。 次は笛田博昭さん。 笛田さんは名古屋芸術大学の《トゥーランドット》で仰天した、力強い美声の持ち主。 音楽雑誌に寄稿しておられる「フランコ酒井」氏によれば「デルモナコの声」だそうです。 インタビューでは、 江澤「いやー、大きいですね」 笛田「子供の頃から大きいです」(会場笑い) 江澤「僕が1m75cmですから(会場から驚きの声)、2mはありますか?」 笛田「2m3cmです」(会場ますます驚き) というやりとりがありました。 笛田さんは名古屋芸術大学の実技補助員で、名古屋芸術大学の中島基晴学長は人気テノール中島康晴さんのお父さん。 「今後の希望はイタリア留学」だそうで、「デルモナコの声」と体格に恵まれた笛田さんには「中島康晴さんの道」を期待しておきましょう。 メゾソプラノの手嶋眞佐子さんも豊かな声に恵まれた方ですが、立ったままの歌唱は残念でした。 田村さんとは東京芸大の同学年だそうですが、田村さんはオペラ科、手嶋さんはソロ科で、学生時代の付き合いはなかったそうです。 演技力の違いはオペラ科とソロ科の違いでしょうか? バリトンの呉承容さんは韓国出身で、日本には2年在住し、奥さんは日本人。 すでに活動の場をヨーロッパに移し、最近プラハからハンブルグに引っ越されたそうです。 508. オペラフォーエバー 笛田利子 [URL] 2004/11/25 (木) 10:42 オペラフォエバーに私も行ってきました。皆さんプロの方達なので大変すばらしい歌声を聞かせていただきました。 江澤さんとの会話よく覚えていますね。 ヨーロッパ音楽紀行を見せていただきました。 息子のこれからの情報又メールさせていただきますのでよろしくお願いします。 只今いくつかの練習で忙しそうです。 特に蒲郡市の50周年のカルメン ドンホセ役は初めてのフランス語ですから頑張っています。 これからもよろしくお願いいたします。 509. Re: オペラフォーエバー お部屋番・いんぜる 2004/11/25 (木) 23:32 そうですね、笛田さん以外の方は海外留学もすませプロとして活躍しておられる方でしたね。 笛田さん、もう少し颯爽と歩いてほしかった (^_^;。 蒲郡の《カルメン》は見に行くつもりです。 その前に中井亮一さんが出演される四日市の《ボエーム》を見に行きます。 最近の名芸大出身者の活躍には目を見張るものがありますね。 510. マイヤーリンク 「うたかたの恋」 お部屋番・いんぜる 2004/11/28 (日) 01:26 ウィーン紀行(36) 04.1.2(金) http://www.nakash.jp/opera/2004buda/7wien3/wien36mayerling.htm さて、この日の残り時間も少なくなってきましたが、がんばってルドルフ皇太子とマリー・ヴェッツェラが心中したマイヤーリンクに行ってみることにしました。 メードリンク駅前にいたタクシーに「マイヤーリンク・ハウマッチ?」と聞いたら「80ユーロ」という返事。 1万円超ではありませんか(@o@)。 ちょっと逡巡しましたが、マイヤーリンクに行けるのも今回が人生一度のチャンスかもしれません。 そう考えると、ある程度の出費にも目をつむるしかありません。 1889年1月30日、オーストリア・ハンガリー二重帝国皇太子ルドルフ(30歳)が、17歳の男爵令嬢マリー・ヴェッツェラと、マイヤーリンクの狩猟用別邸でピストルによる心中自殺をしました。 1月26日、父フランツ・ヨーゼフ皇帝と激しく言い争い、「おまえは、わたしの後継者として相応しくない」とまで言われたルドルフは自殺を決意します。 1月27日、ルドルフは皇帝の厳命でドイツ大使が開催したドイツ皇帝ヴィルヘルムの誕生日を祝うパーティに出席しました。 1月28日、ルドルフは王宮で家族、友人に宛て遺書を書き、マイヤーリンクに向かいました。 1月29日、ルドルフは友人ホヨス伯爵と夕食をとり、10時過ぎに寝室に入りました。 寝室ではマリーが待っていました。 二人は最後の手紙を書きます。 エリザベート皇后への手紙には「わたしは、彼の息子として相応しくありません」と書かれていたそうです。 父フランツ・ヨーゼフ皇帝に宛てての遺書はありませんでした。 そして翌30日の朝6時10分、ルドルフの寝室で2発の銃声が 響きました。 その後の経過については略しますが、悲劇のあった狩猟用別邸は カルメル会尼僧の修道院に建て替えられました。 さて、雪の積もる山道を走ること3〜40分。 ハイリゲンクロイツ教会を過ぎ、一山越えたところにマイヤーリンクの村がありました。 寂しい雪景色でしたが、かつてルドルフとマリーが訪れたマイヤーリンクもこのような雪景色だったのでしょう。 カルメル会修道院は村の手前に建っていました。 二人が心中した2階の寝室に合わせ祭壇が作られたそうです。 奥の部屋にはマイヤーリンク事件の展示がありましたが、ドイツ語なので詳細不明です (^_^;。 511. ハイリゲンクロイツ マリーの墓 お部屋番・いんぜる 2004/11/28 (日) 01:31 ウィーン紀行(37) 04.1.2(金) http://www.nakash.jp/opera/2004buda/7wien3/wien37marie.htm ◇ハイリゲンクロイツ教会 マイヤーリンクからハイリゲンクロイツに戻りまして、次に目指すはマリー・ヴェッツェラの墓です。 ハイリゲンクロイツ教会は有名な観光施設となっており、多くのバスが停まっていました。 作曲家アントン・ブルックナーはこの教会のオルガンを好み、よくこの教会を訪れました。 彼はルドルフ皇太子の死を、この教会で聞いたそうです。 ◇ マリー・ヴェッツェラの墓 ハイリゲンクロイツ教会からメードリンク方向に少し戻り、左手の坂道に入ります。 雪の積もった狭い道をタクシーは滑りながら登ります。 やがて、右手にハイリゲンクロイツ教会の小さな墓地が見えてきました。 この墓地にマリー・ヴェッツェラの墓があるのです。 マリーの遺体は1889年1月31日(事件の翌日)の晩、服を着せて馬車に乗せられました。 遺体は箒で固定され、死体と気づかれないよう細心の注意が払われました。 そしてマリーの遺体はこの坂道を上り、人目に付かないようこの墓に葬られたのです。 しかし、マリーの遺体は今、この墓にあるのでしょうか? 1997年12月、「うたかたの恋と墓泥棒」(ゲオルク・マルクス)という驚くべき本が出版されました。 1992年12月1日、クローネン新聞の記者ゲオルク・マルクスは「マリー・ヴェッツェラの骨を持っている」と言う男フラッツェルシュタイナーの訪問を受けました。 12月21日のクローネン新聞に「マリー・ヴェッツェラ、墓から盗まれる」という記事が掲載されました。 翌22日にハイリゲンクロイツ墓地の墓が開けられ、遺体がないことが確認されました。 その後、フラッツェルシュタイナー自身が犯人だということが判明しました。 マリーの死体が盗み出されたのは1991年7月8日の夜だったそうです。 この本をテーマとしたTV番組「世界ふしぎ発見!」で、マリーのしゃれこうべが出てきたのには心底仰天しました。 「これがマリーです。 頭の左側に銃で撃たれた穴があるでしょう?」ってね。 514. 四日市オペラ《ラ・ボエーム》11/28 お部屋番・いんぜる 2004/11/28 (日) 23:20 http://www.nakash.jp/opera/review04/29boheme/boheme.htm 四日市市民オペラは3年に一度、公演をしているそうです。 僕は演出の池山奈都子さんのファンで、彼女がどのようにこのオペラを演出するのか気になって、四日市まで出かけました。 オペラの前に、市立博物館で「21世紀の本居宣長」なる展覧会を見ました。 これは大変に中身の濃い内容で、歩き疲れました (^_^;。 2004年11月28日(日)2:00PM 四日市市文化会館第1ホール 指揮:竹本泰蔵 演出:池山奈都子 ミミ:水野麻衣子 ロドルフォ:中井亮一 マルチェッロ:東川史治 ムゼッタ:吉原ルミ子 ショナール:栗田滋勇 コッリーネ:伊藤貫之 注目の池山演出は「もう少し新しいアイディアはないのか?」と言いたくなるほどオーストドックスなもの。 しかし考えてみれば、《ボエーム》を初めて見る人も多いであろう市民オペラには親切な演出とも言えましょう。 泣かせるところは泣かせてくれたし、それはそれで良かったんだけれど‥‥。 第二幕は舞台奥に向けて階段があり、モンマルトルの丘を思わせる二段の構造になっています。 市民オペラと言いながら本格的なスケールの大きい舞台で、この公演にはかなりの費用がかかっていると見ました。 第二幕の幕が上がると舞台上には人が溢れています。 ここで拍手があってもいいところです。 で、コーラスは大人40名、子供29名なんだそうですが、一人一人の動きが自然なわけです。 ゼッフィレッリの有名な演出のようにね。 10月に見た弘前市民オペラ(演出:平尾力哉)のコーラスは段取りで動いていましたから、この辺が演出家の力量の差なのか、手間ひまかけた時間の差なのか。 竹本泰蔵さん指揮する四日市交響楽団は、コンサートマスターに名フィルの日比浩一さんを迎え、レベルの高い演奏を聴かせてくれました。 少しくらいのミスは聞き流しましょう。 キャストではミミの水野麻衣子さんが気に入りました。 四日市のおみやげは笹井屋の「なが餅」。 藤堂高虎が足軽の頃に無料でたら腹食べさせたところ、後年伊勢の大名に出世てから大変ひいきにしたとの逸話が残っており、「高虎めぐり」をしている僕には見逃すことが出来ないお菓子でした。 515. 20000番 お部屋番・いんぜる 2004/12/03 (金) 23:12 12月3日に、カウンターが20000番を超えました。 516. 大須師走歌舞伎《絵本太功記》 お部屋番・いんぜる 2004/12/03 (金) 23:15 大須師走歌舞伎《絵本太功記》プレビュー公演 2004年12月2日(木)7:00PM 取り急ぎ、画像をアップしました。 http://www.nakash.jp/opera/review04/30taikouki/1.htm からご覧下さい。 517. 「ウィーン紀行」終了 お部屋番・いんぜる 2004/12/04 (土) 22:40 「ウィーン紀行」を、およそ一年がかりで書き終えました。 最後は無理矢理終わらせた感じです (^_^;。 で、次はGWの「プラハ紀行」です。 518. ヘンゼルとグレーテル(12/11) お部屋番・いんぜる 2004/12/12 (日) 00:44 チェコ国立ブルノ歌劇場 《ヘンゼルとグレーテル》 2004年12月11日(土)5:00PM 愛知芸術劇場大ホール 指揮:ヤン・ズバヴィテル ヘンゼル:ヤナ・シュテファーチコヴァー グレーテル:マルチナ・バウエロヴァー 歌手はとても良かったですね。 僕の席は巨大劇場の5階最後列でしたが、よく聞こえてきました。 マイクを使っているのでしょうか? オケの音は貧相で、技術的なミスも散見されました。 序曲(大好き)が途中でカットされたのには愕然としましたが、ブルノでもこのような形で上演されているのでしょうね。 演出は14人の天使が序曲の途中から現れて、その後も時々顔を出すというもの。 「眠りの二重唱」(よかった)のあとでは、天使が食べ物を持って現れました。 全体的に何の驚きもない因習的な演出で、退屈でした。 あとは字幕かな。 唐突に「まいう〜!」「卵は今高いのよ」などという台詞が出てきて、ビックリしました。 519. ユシュチェンコ毒殺未遂 お部屋番・いんぜる 2004/12/12 (日) 10:03 テレビを見ておりましたら、ウクライナのユシュチェンコ候補がダイオキシンを盛られた、というニュースに出てきた病院に見覚えがある。 これがウィーンのルドルフィーナーハウスで、正月に行ったことがあるんです。 テオドール・ビルロートとルドルフ皇太子ゆかりの病院で、今も高いレベルにあるとは聞いていましたが、「なるほど」という感じです。 旅行のレポートはここ↓。 http://www.nakash.jp/opera/2004buda/6wien2/wien25rudolfiner.htm 520. ビルロート由来の 石田純郎 2004/12/14 (火) 21:53 病院に行かれましたか。 外科医でなくとも、ビルロートは重要な医学者ですね。 ちゃんと顕彰されている。 ウクライナの候補者のダイオキシン中毒問題はさておいて。 521. Re: ビルロート由来の お部屋番・いんぜる 2004/12/14 (火) 23:02 > 病院に行かれましたか。 まあ、ブラームスとの関係もあって、興味を持っているわけです。 まとめは http://www.nakash.jp/opera/namae/billoth.htm 「ヨーロッパ医科学史散歩」を読んで、チューリッヒでは医史学博物館に行きたかったな、と思っています。 ビルロートはチューリッヒ大学教授時代にブラームスと出会ったのですからね。 523. Re: ビルロート由来の お部屋番・いんぜる 2004/12/14 (火) 23:47 おおそうだ、ここで石田先生に質問させていただきたい、かねてからの疑問があります。 ビルロートが最初に胃切除術をした患者の名前なんですが、武智先生の「ビルロートの生涯」133ページによれば、患者の名前はマリア・テレジア・ヘラー。年齢など詳細が書かれていないのが残念です。 一方、「外科」(29:1966年)に連載された堺哲郎先生の「テオドール・ビルロートの生涯」104ページによれば、患者は Therese Heller という43歳の女性で、嘔吐やタール便など、詳細な経過が書かれています。 で、僕はこの名前の違いに苦しんでいるんです。 今回の旅行記の記載は教科書とした武智先生の本に従いましたが、手術の部分については堺先生の論文の方が正確かな? という気もするんです。 マリア・テレジアと Therese は同じなんでしょうか? ビルロートの原著に書かれている名前はどちらなのでしょう? 武智先生も堺先生の論文は読んでおられるはずなんですが‥‥ 524. IXY と LUMIX お部屋番・いんぜる 2004/12/15 (水) 00:53 新しいデジカメ 「LUMIX DMC−FX7」 を買ったんですが、大須師走歌舞伎を撮っていて、「以前の IXY に較べて写真が上手く撮れない」と感じていました。 特に暗い部分ですね。 どうしても納得できないので 「IXY DIGITAL 50」 を買ってきて、較べてみました。 お金がかかったレポートですので、そのつもりで御覧下さい (^_^) 。 http://www.nakash.jp/opera/review04/32IXY/32IXY.htm いかがでしょうか? 明らかに IXY の方がずっと綺麗に撮れるんです。 特に、一番下の地下鉄ホームの写真の違いには驚きました。 今後デジカメを購入されるときの参考にして下さい。 LUMIX は大きいモニターが魅力的ですが、バッテリーが早く消費してしまい、旅行に持って行くには問題がありそうです。 526. じゅごんの子守歌(名古屋オペラ協会) お部屋番・いんぜる 2004/12/15 (水) 23:15 じゅごんの子守歌(名古屋オペラ協会)12/12 原作の戯曲は、ほぼ20年前に名古屋の劇団「うりんこ」のために書かれました。 舞台が瀬戸内ということで、1996年に「広島オペラ・ルネッサンス」事業の委嘱でオペラ化されました。 今回は原作者の演出と指揮による舞台です。 名古屋オペラ協会《じゅごんの子守歌》 2004年12月12日(日)2:00PM 名古屋市民会館大ホール 脚本・演出:小田健也 作曲・指揮:池辺晋一郎 管弦楽:小牧市交響楽団 おもん:藤本圭子 八兵衛:滝沢 博 大谷六郎宗晴:神田豊壽 南北朝時代の瀬戸内、土岐島。 瀕死の中国人女性から赤ん坊を受け取った八兵衛は、その子供おもんを育てる。 おもんは島に流れ着いた南軍の大谷六郎宗晴と仲良くなるが、彼の逃亡を助ける犠牲となって矢で射殺され、じゅごんになる。 上演のために努力された皆さまには申し訳ないのですが、僕には退屈な作品でした。 上演時間3時間という大作ですが、その分耐える時間が長かったです。 何よりストーリーが面白くない。 おもんは無邪気な少女という設定なんでしょうが、無邪気な演技をすればするほど、僕には知恵遅れの少女と見えて困りました。 演じている役者さんはいい歳ですからね。 演出にも冴えたところがありませんでした。 池辺さんの曲と指揮は、こんなものでしょうか。 小牧市交響楽団はプロのオーケストラだそうですが詳細不明。 なかなかのレベルかと思いました。 527. 細かい史実の違い 石田純郎 2004/12/16 (木) 20:23 実際に、こうした違いはよくあります。 一番良いのは、いんぜるさんが1次史料をご自分で確認することで、多分、お二人のどちらかが、あるいは両方が、不確実な2次史料からの孫引きで、もとの記載が誤っている。 ビルロートの勤務していた病院へ行き、診療録を見せろと言うと、残っていれば見せてくれます。 本当に、こうした例は多いんです。 私の専門は外科史でないんで、逃げてしまうようで、申し訳ありませんが。 大村敏郎さんがご生存なら、喜んで追及されそうなテーマですが。 528. 名フィル&バルシャイ(12/15) お部屋番・いんぜる 2004/12/16 (木) 22:04 ショスタコーヴィッチの弟子であり友人でもあったルドルフ・バルシャイが、ショスタコーヴィッチの交響曲を指揮するという興味深いコンサートです。 名古屋フィルハーモニー交響楽団 第309回定期演奏会 2004年12月15日(水)6:45PM 名古屋市民会館 会場には「ニコライ・ズナイダーは急病のため来日できず、代わって戸田弥生が出演いたします」との掲示がされていました。 そのベートーベンのバイオリン協奏曲は、あまり面白くありませんでした。 よく知っている曲を楽譜通り演奏されるだけなら、あえて聴きに行く必要はないでしょう。 後半のショスタコーヴィッチ「交響曲第4番」は、ショスタコーヴィッチ演奏の権威であるバルシャイ先生に、ショスタコーヴィッチの神髄を聴かせていただいた、という趣。 曲自体は難解で、よく分かりませんでしたがね (^_^ゞ。 フルート4本にピッコロが2本という大編成の大曲で、名フィルも気合いが入っていました。 これだけの演奏をしていただけるのならもっと名フィルを聴きに行かなくては、と反省いたしました。 529. Re: 細かい史実の違い お部屋番・いんぜる 2004/12/16 (木) 22:08 コメントありがとうございました。 > ビルロートの勤務していた病院へ行き、 > 診療録を見せろと言うと、残っていれば > 見せてくれます。 うーむ、ヨゼフィーヌム(医学史博物館)かな? いつの日にか解決したい疑問ではありますが、実力が‥‥ (^_^ゞ。 530. 感服いたしました 江口 秀史 2004/12/19 (日) 23:04 先生からいただいた名刺を頼りにHPを拝見させていただきました. ほとほと感服いたしました. いつかは私もと思いながら,大好きなピアノの2番を聴きながら紀行を読ませていただいています. 532. Re: 感服いたしました お部屋番・いんぜる 2004/12/20 (月) 15:15 早速ご覧いただきありがとうございます 。 》大好きなピアノの2番を聴きながら. ブラームスがこの曲を作曲したのは、ウィーン近郊のプレスバウムという街だそうで、機会を作って行ってみたいと思います。 秋田市川反は以下のページです。 http://www.nakash.jp/opera/kikoui04/07akita/02akita.htm 533. ドラクエ8 お部屋番・いんぜる 2004/12/20 (月) 15:18 突然「ドラクエ8」を始めてしまいました。 一日でレベル 10 まで行ったんですが、ホームページの更新がおろそかになるかもしれません (^_^ゞ。 535. 《レ・ミゼラブル》in コンサート(1) お部屋番・いんぜる 2004/12/22 (水) 20:57 《レ・ミゼラブル》in コンサート 2004年12月18日(土)中日劇場 1:00PM 5:00PM バルジャン:今井清隆 山口祐一郎 ジャベール:今 拓哉 村井国夫 エポニーヌ:新妻聖子 新妻聖子 ファンティーヌ:井料瑠美 マルシア コゼット:河野由佳 剱持たまき マリウス:岡田浩暉 戸井勝海 テナルディエ:駒田 一 三遊亭亜郎 テナルディエの妻:瀬戸内美八 瀬戸内美八 アンジョルラス:岡幸二郎 小鈴まさ記 ガブローシュ:局田奈都子(つぼたなつこ) リトル・コゼット:藤井ゆりあ 藤井ゆりあ ミュージカル《レ・ミゼラブル》をコンサート形式で上演したもの。 衣装と演技は付くが、マイクがあるため歌うときは前向きになってしまう。 このミュージカルではたくさんの人が死ぬんだが、死んだ後の演技がなかなか難しそう。 バルジャンはやはり山口さん(僕はファン)が圧倒的。 昼の部が終わって1階に下りると、山口さんの入り待ちの女性集団がいた。 1時間前に東の入り口にタクシーで到着するそうだ。 アンジョルラスの岡さんは「青白き天使」という役柄そのもので、神々しいばかり。 今はジャベールを歌っているが、こういう冷たい役が岡さんにはぴったり。 《ミス・サイゴン》のジョンではそのキャラクターが裏目に出ていたかな。 リトル・コゼットの藤井さんは小学校4年生だが、歌は上手いし演技はするし、驚いた。 今まで見た最高のリトル・コゼット。 このまま成長を止めて欲しいんだが‥‥。 ガブローシュの局田さんは大人だが、腕白少年のガブローシュそのもので気に入った。 536. 《レ・ミゼラブル》in コンサート(2) お部屋番・いんぜる 2004/12/22 (水) 20:58 ジャベールはベテラン今井さん。 この舞台には娘さん(村井麻友美)も出演しておられ、会場には音無美紀子さんと息子さんの姿がありました。 エポニーヌの新妻さんは《ミス・サイゴン》のキムが素晴らしかったので期待したが、低い音が出ていないのは残念。 ファンティーヌはマルシアが迫力があるが、少し日本語が変なところも。 コゼットは剱持さん。 オペラっぽい歌い方だが、この役は高い音があるので、こういう声の人がキャスティングされるのだろう。 マリウスは戸井さんの方が真面目な印象。 テナルディエは駒田さんは面白おかしく演じ、三遊亭亜郎さんは名前の割には真面目な歌と演技。 僕はちょうどこの中間くらいが好きなんだが。 再来年の3月には中日劇場公演が予定されていて、通うつもり。 それまでの東京・大阪の公演をどうしようか考慮中。 537. Re: ドラクエ8 Nutria [URL] 2004/12/23 (木) 00:02 > 突然「ドラクエ8」を始めてしまいました。 うらやましいです。 これまでのシリーズはプレイされているんですか? http://www.kanzaki.com/norrington/roger-interview2004.html ↑ノリントンがヴァイオリンの奏法についてインタビューに答えています。 538. Re^2: ドラクエ8 お部屋番・いんぜる 2004/12/23 (木) 02:18 > これまでのシリーズはプレイされているんですか? ドラクエ3までです。 あとは闇の世界との切り替えが理解できず、挫折しました (^_^ゞ。 今夜は盗まれた馬(お姫様)を探して、疲れ果てました。 ドラクエは休日の前だけにしなくては、と思っています。 ノリントンのインタビュー面白く読みました。 僕のようにバイオリンを弾くものにとって、「歌う」ということは、ビブラートをかけると言うことです。 自然にビブラートがかかるように、子供の頃から練習するんです。 だから、 》ただ、ビブラートというのは、チェーン・スモーキングのようなも 》ので、奏者の立場では、止められないと言うか、自然に手が震えて 》しまう(笑)という問題はありますけど 》 》ただ単に音をまっすぐ伸ばしているだけでは、面白い音楽にはなら 》ない。ビブラートなしというのは裸みたいなものですから、服を着 》ないことにはね。 という部分には、分かる分かる、と同感したりしますね。 539. 長久手古戦場巡り(12/23) お部屋番・いんぜる 2004/12/25 (土) 20:48 長久手古戦場巡りをしてから、「長久手青年の家」でオペラ《ラ ・ボエーム》を見てきました。 まずは古戦場巡りからレポートします。 http://www.nakash.jp/opera/kikoui04/18nagakute/01.htm 「長久手の戦い」の跡は「古戦場公園」となっていて、長久手町郷土資料室がありました。 ざっと内部を見学してから、長久手の戦いで戦死した池田恒興、池田元助、森長可のお墓探しです。 ◇勝入塚 勝入塚は資料室のすぐ前の林の中にありました。 池田恒興(入道して勝入)は母が信長の乳母だったため、幼少より信長に仕えました。 本能寺の変の後は豊臣秀吉と結び、賤ヶ嶽の合戦の活躍により美濃大垣城を与えられました。 「小牧・長久手の戦い」では、別働隊のリーダーとして家康が留守にしている本拠岡崎を奇襲するため兵を進めましたが家康の追撃にあい、この地で戦死しました。享年49歳。 ◇庄九郎塚 長久手の戦いでは、恒興の長男、庄九郎(元助)も戦死しました。 彼の墓である庄九郎塚は古戦場公園の隅に、ひっそりとありました。 池田家は恒興の次男、輝政が相続しました。 輝政は親の敵である家康と結び、家康の娘を後妻として娶り、関ヶ原戦後に播磨国姫路城主となりました。 子供たちも備前、淡路、因幡鳥取などを領する大大名となりました。 ◇武蔵塚 勝入塚や庄九郎塚は古戦場公園の中にあるのですが、武蔵塚は住宅地の中にあり、探すのが大変でした。 森長可(ながよし)は本能寺の変で討ち死にした蘭丸、坊丸、力丸の兄に当たり、「鬼武蔵」と呼ばれる勇猛な武将でした。 池田恒興の娘婿に当たりますが、彼も長久手の戦いで眉間を打ち抜かれて死亡しました。享年27歳。 兄弟の父・可成(よしなり)と長兄の可隆(よしたか)は朝倉戦で戦死しています。 何と戦死者の多い家系でありましょう。 森家は一番下の弟、忠政が相続し、忠政の子孫は「忠臣蔵」で浅野家がお家断絶となった赤穂藩のお殿様となり、そのまま明治維新を迎えました。 ◇色金山(いろかねやま) 小牧山に陣をしいていた家康は秀吉軍の動きを知り、小幡城から色金山に達しました。 色金山は歴史公園として整備されており、山頂には家康が腰掛け軍議を開いたという巨岩・床机石がありました。 見晴らしの良い展望台もありました。 ◇首塚 合戦後、安昌寺の雲山和尚が戦場に残された遺体を手厚く葬ったという塚です。 540. 愛知オペラ《ラ・ボエーム》 12/23 お部屋番・いんぜる 2004/12/25 (土) 22:49 愛知オペラはオペラファンの都築淳一郎氏が立ち上げたもので、旗揚げ公演は自らが演出した《ラ・ボエーム》。 会場の「長久手町文化の家・森のホール」は客席823のこぢんまりとした円形ホールです。 http://www.nakash.jp/opera/kikoui04/18nagakute/02.htm 2004年12月23日(木・祝)5:00PM 長久手町文化の家・森のホール 指揮・ピアノ:甚目裕夫(はだめひろお) 演出・装置:都築淳一郎 ロドルフォ:小山陽二郎(おやまようじろう) ミミ:児玉弘美 マルチェッロ:柴山昌宣(しばやままさのぶ) ムゼッタ:金原聡子(きんばらさとこ) コッリーネ:伊藤貴之(いとうたかゆき) ショナール:増原英也 舞台装置は奥に入り口と窓が開いた壁があり、すべての幕がこの前で演じられます。 都築さんの演出はオーストドックスなものでした。 しかし、2幕カルチェ・ラタンの群衆(20人くらい)の動きが、特に歌がない部分で止まってしまうのは残念でした。 こうしてみると、四日市オペラで80人のコーラスを見事に動かした池山さんの演出はさすがだったなと思います。 本格的なオペラ舞台の伴奏にピアノ1台は苦しかったですね。 名古屋二期会の《修道女アンジェリカ》はエレクトーン2台で、それなりに満足できる響きを出していましたが。 歌手は皆さん好演でした。 マルチェッロ役の柴山さんは2月に新国立劇場《おさん》に主役として出演されるそうですが、良い出来でした。 ふと気になったのが、ロドルフォとミミの会話の場面で暖炉の火が燃えていたこと。 四日市の池山演出でも暖炉に火がついていました。 その時はショナールが薪を持ってきたから暖炉に火がついていても良い、ロドルフォに「火のそばにお掛けなさい」という歌詞もある、との説明を受け一応は納得しました。 しかし考えてみれば、暖炉の火がついているなら蝋燭の火をそこから取ればよいわけで、物語が成立しなくなってしまうような気がするのですが如何なものでしょう? 541. マリア・テレジア・ヘラー お部屋番・いんぜる 2004/12/25 (土) 23:50 ビルロートが最初に胃切除術をした患者の名前なんですが、武智秀夫先生の「ビルロートの生涯」(考古堂)133ページによれば、患者の名前はマリア・テレジア・ヘラー。 一方、「外科」(29:1966年)に連載された堺哲郎先生の「テオドール・ビルロートの生涯」104ページによれば、患者はTherese Heller という43歳の女性で、嘔吐やタール便など、詳細な経過が書かれています。 僕はこの名前の違いに苦しみまして、とうとう武智先生に質問の手紙を出してしまいました。 そして本日、武智先生から詳しいお返事をいただきました。 ビルロートの第一報(Wiener Medizinische Wochenschrift,1881)には、患者の名前は書かれていないそうです。 武智先生は Wiener Medizinische Wochenschrift,1881 の Notizen(覚え書き)というコーナーで「マリア・テレジア・ヘラー」という名前を見つけ出されたそうです。 これで事情が分かり、すっきりしました (^_^) 。 武智先生には感謝の他はありません。 543. 蒲郡オペラ 《カルメン》12/26(1) お部屋番・いんぜる 2004/12/27 (月) 23:51 僕はテノールの笛田博昭さんの追っかけをしているんですが、本日は蒲郡市制50周年記念のオペラ《カルメン》です。 オペラの前に蒲郡プリンスホテルでランチ。 高台に建つこのホテルからは眼下に竹島と三河湾、遠くに渥美半島を望むことが出来ました。 http://www.nakash.jp/opera/review04/36gamagoori/01prince.htm 蒲郡市制50周年記念 オペラ《カルメン》 2004年12月26日(日)2:00PM 蒲郡市民会館 大ホール 指揮:小川和人 演出:岩川 均 カルメン:近藤にれ ホセ:笛田博昭 エスカミーリョ:澤脇達晴 ミカエラ:三輪 栄 フラスキータ:天野久美 メルセデス:谷田育代 ダンカイロ:滝沢 博 レメンダート:中井亮一 スニーガ:伊藤貴之 モラレス:中野嘉章 笛田さんのホセは「もう少し演技力があるといいか。ミカエラとの二重唱でファルセットに逃げたのは不満」などと見ていたのですが、最後のカルメンとの二重唱が凄まじかった。 ドラマティックで声量に恵まれた笛田さんの声はこの二重唱にピッタリだろうと期待していたのですが、期待を遙かに上回る出来で、手に汗を握りました。 このレベルならウィーン国立歌劇場でも通用するのではないかと、かつてウィーンで《カルメン》を見た僕は思うんですけれどね。 カーテンコールで笛田さんが登場すると拍手は一段と高くなり、あちこちから熱狂的な「ブラヴォー!」が飛びまして、会場に来られた皆さまには衝撃を持って迎えられたようです。 笛田さん次のコンサートは3月30日の「プッチーニの魅力@しらかわホール」でしょうか。 544. 蒲郡オペラ 《カルメン》12/26(2) お部屋番・いんぜる 2004/12/27 (月) 23:53 近藤さんのカルメンは、少し妖艶さに欠けるような気もしましたが、終わり良ければすべて良し。 男声ソリストは、最近どこかの舞台で見た顔ばかりです。 スニーガの伊藤さんなどは、四日市と長久手の《ラ・ボエーム》で見ていまして、名古屋のオペラ公演は名古屋芸術大学の実技補助員が中心となっていくようです。 スニーガは一幕の最後で、カルメンを逃がしてしまったホセを2回も殴り倒していました。 エスカミーリョの澤脇さんは「闘牛士の歌」でテーブルに登ろうとして椅子が倒れ転落(@o@)。 しばし立ち直れませんでした。 今回の公演の主催は蒲郡フィルハーモニー管弦楽団。 指揮の小川和人さんは蒲郡フィルの音楽監督で市立大塚中学校長。 かつては吹奏楽とオーケストラのコンクールに明け暮れたという実力派です。 コンサートマスターが上手だなと見ていたのですが、この人は愛知県芸の助教授。 管楽器のソリストも良い出来でした。 おかしかったのはオケピットが機械で上下すること。 前奏曲や間奏曲の最初はオケが見えているんですが、演奏している間にだんだん下がっていって、舞台のカーテンが上がるときには客席から見えなくなっているんです。 演出の岩川均さんは名古屋の俳優であり演出家。 僕はかつて岩川さんがエル・ガヨを演じた《ファンタスティックス》を見て痛く感銘を受け、ニューヨークの舞台を見に行ってしまった鮮烈な記憶があります。 今回の装置は舞台奥に高い通路を組んで階段で上り下りする本格的なもので、第3幕ではその前に紗幕を下ろして照明で山の中にしていました。 演出は正統的ながら陳腐に陥らない、まったく納得がいくものでしたが、特に舞台を埋め尽くすコーラスの動かし方が素晴らしかった。 合唱は250人と聞きましたが、女声は一人につき一幕が担当になっているようです。 年配の女性も見られましたが、とっても良かったですね。 子供の合唱は市立中央小学校合唱部が50人。 蒲郡の小学校の合唱部は数々のコンクールに入賞しているそうで、これもハイレベルで驚きました。 蒲郡市長が酒場「リーリャス・バスティア」の主人役で登場し健闘していましたが、それでもアマチュアの限界を見せてくれました。 数百人の出演者が並ぶカーテンコールはまったくの見物で、満席の客席から盛大な拍手がいつまでも続いていました。 545. 池山さんのボエム ミスターKY 2004/12/31 (金) 11:05 いんぜるさん、こんにちは! 四日市と長久手のボエムをご覧になって、池山さんの演出を高く評価されていますので、四日市のボエムの合唱に出演していた友人の話を参考までにお伝えします。 私もいんぜるさんと同じく11月28日の舞台を観て、2幕には大いに感動しました。 池山さんは合唱のメンバーには、ボエムの話・各場面の内容や舞台での動きに対する客席からの見え方などを詳しく説明された後、各人の動きに対する細かい指示は出さず、出演者自身に徹底的に考えさせたそうです。 友人の動きや演技は自分自身で考えたり、回りの人達と話し合って考えたものだそうで、結果として、このような池山さんのやり方が良かった、といっていました。 彼は四日市市民オペラの最初から合唱に連続して出演しているベテランで、2幕のカーテンコールでは前に出てリードしていた人です。 私は、1998年の四日市市民オペラのカルメンの合唱に参加して多くの友人を得たほか、それ以来、オペラの合唱や群集場面に強い興味を持つようになりました。 また私は、名古屋のグランフォニックという男声合唱団に所属しており、池山さんには2回の定期演奏会で演出していただきましたし、岩川さんには、来年5月15日の定期演奏会の演出をお願いしています。 ちなみに、この定演のメインは、男声合唱版のメリーウイドウです。 546. 21000番 お部屋番・いんぜる 2005/01/02 (日) 22:10 12月30日から1月2日まで、九州三都物語で、福岡・佐賀・長崎に行ってきました。 その間の12月31日にカウンターが21000番になりました。 547. Re: 池山さんのボエム お部屋番・いんぜる 2005/01/02 (日) 22:18 ミスターKYさん、貴重な情報をありがとうございます。 動きが出演者に任されているとは意外でした。 それであのような見事な群衆の動きが出来るなら、それは練習にかけた時間の問題でしょうか? >岩川さんには、来年5月15日の定期演奏会の演出をお願いし >ています。ちなみに、この定演のメインは、男声合唱版のメリ >ーウイドウです。 それは面白そうですね。 またその頃に教えて下さい。 岩川さんの演出も見逃したくありません。 548. 九州三都紀行(福岡・佐賀・長崎) お部屋番・いんぜる 2005/01/08 (土) 22:21 年末年始の九州旅行。 取り急ぎ福岡と佐賀の部分をまとめました。 http://www.nakash.jp/opera/kikou05/01kyuusyuu/99mokuji.htm 長崎についてはシーボルトや蝶々夫人など、書きたいことが多いです。 549. 最初の患者 石田純郎 2005/01/10 (月) 15:31 色々な医学的事例の最初の患者については、史実に基ずかない話が一人歩きすることが多いのですよ。 一番典型的な例は、ジェンナーの種痘を1796年に最初に治験した少年、戦前の日本の修身の教科書では自分の子供にしたことになっていますが、実際は近所の子供でした。 ただ、日本に種痘が導入された幕末には、各藩の大名は自分の子供に最初に種痘をさせています(佐賀藩、足守藩など)。 種痘の効用を下々の民衆に示すために。 副反応が激しかった当時、これはかなり勇気のいる行動だったと思います。 550. Re: 最初の患者 お部屋番・いんぜる 2005/01/11 (火) 00:26 > ただ、日本に種痘が導入された幕末には、各藩の大名は > 自分の子供に最初に種痘をさせています(佐賀藩、 > 足守藩など)。 正月休みに長崎に行き、シーボルトの史跡を訪ねました。 彼はバタビアから牛痘法の痘苗を手に入れようとしたが、うまくいかなかったと書かれていました。 |